抄録
明治初期の札幌農学校では、農学教育とともに土木工学の教育がなされていた。この「土木学」と題された講義の内容は、構造力学・橋梁学の分野に関するものであった。農学校で学んだ廣井勇はのちに、アメリカにおいて実践主義的な橋梁設計を体験し、またドイツにおいて最新の材料力学理論を学んでいる。そして、その理論を廣井自身の技術観でまとめ、橋梁学を発展させた著作を著わし、また、札幌農学校工学科及び東京帝大工科大学で後進の育成をした。本研究では、札幌農学校の土木教育や廣井勇の著書の調査分析から、日本の橋梁学成立に重要な役割を果たした廣井勇の橋梁学理論の形成、土木技術観の形成の過程を明らかにする。