2004 年 21 巻 p. 415-424
本論文は、江戸時代初期の米代川水系の地域開発について河道変遷から史的考察を行った。米代川水系には、現在まで8カ所の埋没建物が確認されている。埋没建物は泥流堆積物が洪水によって運搬・堆積したものである。建物の建築年代や十和田火山最新噴火活動から、埋没年代は平安時代前期と考えられる。埋没建物の存在から、盆地内での河道が強く蛇行していた。埋没建物があった最低位段丘面から約6m低位に現在の沖積面があり、新田開発の時期などから1600年代に河道が安定したものと考えられる。沖積面の新田開発には、治水利水の土木技術が大きく貢献し、地域開発が行われた。