日本公衆衛生雑誌
Online ISSN : 2187-8986
Print ISSN : 0546-1766
ISSN-L : 0546-1766
原著
運転免許“自主”返納の意思決定プロセスにおける質的研究:加齢による自分,身体,社会との関係性の変遷
矢野 真沙代橋本 英樹
著者情報
ジャーナル フリー

2020 年 67 巻 11 号 p. 811-818

詳細
抄録

目的 高齢運転者による交通事故を防止するべく,免許の“自主”返納をめぐる議論が進んでいる。しかし,“自主”返納の意思決定プロセスやだれがそれに関わっているのかについて現状では情報が乏しい。本研究では,高齢による運転免許の“自主”返納を経験した高齢者を中心に,それを取り巻く人々や環境との間の関係,高齢者の身体認識の変化に注目しつつ,意思決定のプロセスと“自主”の意味を明らかにすることを目的とした。

方法 探索的目的を鑑み質的研究法を選択した。日常生活で自動車運転の頻度が高く,自主返納率が全国に比し低い茨城県に着目した。同県A市の一般医療機関を受診中の高齢者のうち,配偶者と暮らしており,運転免許を返納ないし返納を検討中の男性8人を対象に半構造化面接を行った。個別インタビューにて免許取得・返納時期,生活内での運転の意義,免許返納に至る過程と相談者の有無,免許返納後の生活等を尋ねた。インタビュー結果を録音し逐語録に起こしたのち,グラウンデッド・セオリー・アプローチに基づき分析した。

結果 当事者は,運転中や日常生活において自分の意思に身体が伴わない《身体の乖離》を経験することで,これまで《身体》は《自分》に内在化され意識していなかった状態から,《身体》を操作する《自分》を日常的に意識しなくてはならないことに戸惑っていた。家族や周囲からの運転技能に対する疑念,運転事故のリスクをめぐるやり取りは,意識化された《自分》にどう対峙するかによって,異なる形で《自主》返納のプロセスにつながっていた。《自分》が事故リスクを抱えた《身体》として内在化された場合,《自分》は喪失され《自主》返納は周囲の意見に折れる形で決定されていた。一方《自分》を過去の人生経験に照らして《再評価》した場合,《自分》を社会のなかで実現する手段として《自主》返納は選択・実行に移されていた。いずれも返納後に生じる《不便》は生じていたが,《自分》の《再評価》がなされたケースでは,返納の判断を積極的に意味づけることができていた。

結論 高齢による運転免許返納の意思決定過程は障害の受容過程と近似しており,《自主》返納は,加齢をきっかけとした,《自分》と《身体》,そして社会との関係性の断絶事象であると考えられた。以上から,自分・身体・社会の関係性の再構築を促すことが“自主”返納による心理的影響を緩和するうえで必要であることが示唆された。

著者関連情報
© 2020 日本公衆衛生学会
前の記事 次の記事
feedback
Top