2020 年 26 巻 p. 60-79
日本社会の気候変動への対応は低調だと指摘されてきた。その原因は,当事者の努力や技術開発,「正しい知識」の欠如ではなく,気候変動問題についての社会的な合意や前提となる価値判断の次元も含めて,ローカルな現場で問題の認知やその対応の社会的受容ができない状況が存在しているのではないだろうか。とくに,環境問題についての知識が断片化されて,問題が受け手のリアリティとはつながらない「遠さ」を持つことが,対策の社会的受容を阻んで解決につながらないばかりか,その被害を深刻化させる温床にすらなることは従来の環境社会学においても繰り返し指摘されてきた。
本稿は,駿河湾サクラエビ漁業の不漁問題を事例に気候変動問題の「遠さ」について,知識の扱われ方に着目して分析を行った。その結果,関係者にとって海に関する知識自体が断片化していること,経験則から外れる事態ゆえに対策の時間のコストが見通せないこと,外部アクターの語りにおいて結果責任の特定を避けられること,という3つが「遠さ」の原因として見いだされた。それに対して,海の環境やサクラエビ漁業に関して,科学知だけでなく在来知を含めた包括的な知識を再構成して共有し,納得するプロセスを地域コミュニティにも開いて明示的に行うことが対応策となりうる。この対応策は,従来の環境社会学においても蓄積のある手法であり,ローカルな環境問題の現場において気候変動問題の「遠さ」を超えることに環境社会学(者)が貢献する余地を示している。