視覚の科学
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眼光学特性を考慮したメラノプシン細胞の分光感度推定
辻村 誠一
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2022 年 43 巻 1 号 p. 28-31

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はじめに

近年,都市は人工照明によって24時間機能している。このような光環境下で社会生活を営むことにより,疲労,睡眠障害,うつ病などの精神疾患,夜間勤務等による社会的時差による疾患などの健康問題が重要な課題となっている。現代の人工光環境はヒトが進化の過程で適応してきた自然光環境とは全く異なっている。この人工光環境に対する環境適応不全による問題に対処するため,新たな光環境の提案が求められている。

照明環境のデザインにおいて,測光値としての輝度,照度,色度は極めて重要である。部屋の照度をコントロールするために照明デバイスの位置や輝度を調整したり,また,窓の位置や大きさを調整したりする。これらの測光値は,ヒトの視覚特性を反映する必要がある。実際,測光値は実験的にヒトの視覚特性を測定し,その特性に基づいて定量化されている。ヒトの視覚特性の定量化について,例えば,明るさ(輝度)は波長光によって異なる。輝度の波長特性は比視感度として国際照明委員会(CIE)から提案され広く知られている。その感度のピークはヒトの場合557 nm付近の黄色であり,そこから波長が離れるに従って感度が低下することが心理物理学実験で明らかにされている。

輝度,照度,色度は純粋な物理量ではなく,ヒトの視覚特性を考慮している測光量である。一方で,分光放射輝度(スペクトラム)は光の強さを表す物理量である。したがって,例えば私たちが感じる明るさ感と分光放射輝度の「量」は一致しない。そこで,分光放射輝度を私たちの視覚の明るさ感の波長特性で重み付けしている測光量が,前述の輝度や照度である。このような視覚特性を考慮した「重み付け」をすることによって,分光放射輝度等の物理量は,より私たちの明るさ感を表す値になるように定量化されている。

メラノプシン細胞の発見

網膜の光受容器は長い間,錐体細胞と杆体細胞のみと考えられていたが,2000年頃,新たな光受容器が発見された。この光受容器は,内因性光感受性網膜神経節細胞(intrinsically photosensitive retinal ganglion cell:ipRGC),またはメラノプシン発現網膜神経節細胞(melanopsin-expressing retinal ganglion cell:mRGC)と呼ばれている。本稿では,単にメラノプシン細胞と呼ぶことにする。メラノプシン細胞は,概日リズムの調節,瞳孔の光反射,明るさの知覚,季節性情動障害などに寄与していることが報告されている。一方で,現時点では,メラノプシン細胞がどのような仕組みで生体に影響しているのかは,よくわかっていない。朝に太陽光を浴びると睡眠の質が高まることが知られている。これはメラノプシン細胞が刺激されることに起因していることが報告されている。就床後にSNSやスマホの利用の抑制など,メラノプシン細胞の生体への影響制御は徐々に日常生活の中に浸透してきている。状況に応じてメラノプシン細胞を興奮させるか抑制するかを適切に判断するためには,メラノプシン細胞の機能を解明することが必要であると考えられる。

前述のようにメラノプシン細胞は,概日リズムの光同調や瞳孔の対光反射に大きく寄与していることが知られている。これらは,対象を網膜で撮像する必要がないので,非撮像系経路(non-image forming pathway),もしくは非視覚経路(nonvisual pathway)と呼ばれている。このことからメラノプシン細胞は環境光の光強度を生体内で符号化する(Irradiance encoding process)機能について重要な役割を担っていると考えられている1,2)。つまり,メラノプシン細胞への刺激量によって環境光の照度を認識していることが示唆されている。環境光によって刺激されたメラノプシン細胞からの信号は,杆体細胞や錐体細胞などの古典的な光受容器からの信号と統合され,非撮像系経路および撮像系経路の処理に寄与している。

メラノプシン細胞は,前述の非撮像系経路の処理の報告が多いが,視覚系経路にも寄与していることを示す報告がされている2,3)。例えば,錐体細胞,杆体細胞を欠損し,メラノプシン細胞のみをもつマウスでも,迷路課題を遂行可能である。また我々を含むいくつかの研究グループが,メラノプシン細胞への刺激を増加させると明るさ感が増強されることを報告している35)。これらの報告は,メラノプシン細胞が,非撮像系経路の処理だけではなく,ヒトの視覚系経路においても重要な役割を担っていることを裏付けている。一方で,その役割の詳細については依然としてよくわかっていない。

眼光学特性を考慮したメラノプシン細胞の分光感度推定

メラノプシン細胞は視物質メラノプシンにより光受容し,かつ錐体細胞や杆体細胞からも入力を受けている。メラノプシン細胞に含まれる視物質メラノプシンの分光吸収特性は視物質メラノプシンのテンプレート(nomogramと呼ばれている)とその他の眼光学特性を考慮して推定されている68)。換言すれば,メラノプシン細胞の分光感度特性は視物質メラノプシンの分光吸収特性だけでは決定されず,眼光学特性に依存して変化する6)

メラノプシン細胞の分光吸収特性は480 nm付近にピークがあることが報告されている1,2)。一方で外界からの光に対しての分光感度特性を推定するためには,眼球光学系における水晶体や黄斑色素の分光吸収特性等の眼光学特性を考慮する必要がある。例えば,ヒトの場合,加齢にともなって水晶体の光学濃度が変化するが,このような加齢による光学濃度変化も考慮する必要がある。

現時点で,メラノプシン細胞に関連する眼光学特性の詳細はまだ良くわかっていないが,いくつか仮定を設定することにより分光感度特性を推定することは可能である。例えば,黄斑色素の分光吸収特性を仮定した場合でのメラノプシン細胞の分光感度のピークは493 nmとなる9)。一方で,Lucasら10)は動物実験をもとにマウスおよびヒトの分光感度特性を推定し,ヒトにおけるメラノプシン細胞の分光感度のピークは490 nm付近であることを示した。ただし彼らは,周辺視野における黄斑色素の分光吸収特性を考慮していない。より正確なメラノプシン細胞の分光感度特性を推定するためには,メラノプシン細胞に関連する詳細な眼光学特性が必要とされる。

図1

メラノプシン細胞の分光感度特性を推定するための眼光学特性

ヒトの明るさ知覚とメラノプシン細胞

「明るさ(Brightness)」という用語は,環境光の見かけの強さを表すために使用され,測光学で用いられる「輝度(Luminance)」とは異なるものである。輝度は,交照法により測定される測光量であり,長波長感受性錐体(Long-wavelength sensitive cones:L錐体)と,中波長感受性錐体(Middle-wavelength sensitive cones:M錐体)の分光感度の線形結合で定義されている。すなわち,輝度は短波長感受性錐体(Short-wavelength sensitive cones:S錐体)やメラノプシン細胞からの入力を一切考慮していない。一方で刺激の見かけの明るさ(Brightness)については色によって変化することがわかっている11)。さらに,明るさは空間情報を必要とせず12),相関色温度とともに増加し13),彩度が高くなるほど明るく見える(ヘルムホルツ・コールラウシュ効果)ことが報告されている。これらのことから,色信号が明るさに寄与していることが示唆されていた。しかしながら,これらの研究はメラノプシン細胞の発見前に報告されており,当然メラノプシン細胞の影響は考慮されていない。このことはこれらの先行研究で観察された現象の一部はメラノプシン細胞の機能で説明できる可能性がある。

メラノプシン細胞の機能解明の研究

メラノプシン細胞が発見された後,その機能解明に多くの科学者が取り組んでいる。これらの中でもっとも一般的なものは遺伝子改変動物を用いた実験である。例えば,錐体細胞および杆体細胞をノックアウトし,メラノプシン細胞のみが機能するマウスを用いた実験や,逆にメラノプシン細胞をノックアウトさせたマウスを用いた実験による結果が数多く報告されている(例えば1))。メラノプシン細胞のみをもつマウスを用いた実験において,光刺激によって生じる生体反応は,メラノプシン細胞起因の反応と考えることができるために,メラノプシン細胞の生体機能への寄与を確認するためには最適である。一方で,遺伝子改変マウスと野生型マウスの神経回路が異なる可能性を排除できないことや,メラノプシン細胞の高次脳機能への寄与の検証が難しいことが問題であると考えられる。

ヒトの場合メラノプシン細胞が生体のある特定の機能に寄与しているかどうかを検証することは困難である。これは,主にメラノプシン細胞を他光受容器と,独立して刺激することの難しさに起因している。例えば,一般に照明光は単波長光ではなく,波長次元で広がりをもつ複雑な分光放射輝度特性(スペクトル分布)をもっている。このような照明光が網膜に入射した場合,網膜の光受容器は,メラノプシン細胞のみならず,錐体細胞や杆体細胞も刺激される。メラノプシン細胞の感度のピーク波長は490 nm付近である。この単波長光を用いて刺激しても,メラノプシン細胞だけでなく,錐体細胞,杆体細胞も刺激する。そのため,この刺激に伴う生体反応はこれらの細胞の反応が混合したものであると考えられる。このような背景から,例えば,錐体細胞や杆体細胞が機能せず,かつ瞳孔の対光反射をもつ患者を用いての実験などが実施されている14)

我々はメラノプシン細胞を他の光受容器とは独立に刺激するために,メタマー刺激と呼ばれる特殊な光刺激を用いた3,6,7,15–19)。メタマー刺激は,三刺激値,すなわち色度と輝度は同じであるが,スペクトル分布が異なる光刺激を示す。メタマー刺激を用いると,他の光受容器への刺激量を変化させず,メラノプシン細胞のみを独立に刺激することが可能である。このような刺激提示手法は,心理物理学では昔から一般的であり,silent-substitution paradigmとして知られている20,21)。特に健常者において,メラノプシン細胞の生体影響を検証するためには今後も強力な手法の一つだと考えられる。

自然光は複雑なスペクトルを持ち,かつ光受容器の分光感度曲線は重なり合っている(図2)。したがって,自然光は通常,全ての種類の光受容器を刺激する。自然光に対するメラノプシン細胞の生体への寄与を生理学的妥当性に基づき評価するためには,各光受容器からの信号がメラノプシン細胞でどのように統合されているのか,換言すれば,各光受容器からの信号がどのような重みで統合されているのかを解明することが重要である(図3)。また,メラノプシン細胞はM1からM6まで形態学的に分類されており,これらの種類によっても重みが異なるかもしれない。今後,メラノプシンと他の光受容器の統合過程に関する研究が進めば,光の生体への影響について大きな進捗があると期待される。

図2

ヒトの網膜光受容器の分光感度特性

図3

ipRGCの光受容器統合過程と生体への影響

文献
 
© 2022 日本眼光学学会
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