抄録
胸腺リンパ腫はマウスでは頻度の高いがんであり、放射線発がん初期過程に存在する前がん細胞を解析するよいモデルである。放射線照射後の萎縮した胸腺内の細胞を移植するとリンパ腫を誘発できるという実験から、萎縮胸腺内には前リンパ腫細胞またはリンパ腫発症起源細胞が存在することが示されている。ヒトでは慢性リンパ性白血病(CML)細胞分画の移植実験から、白血病発症起源細胞が同定され、注目されている。そこで、我々はマウス萎縮胸腺内に存在する前リンパ腫細胞の表現型や遺伝的変異を明らかにする試みを行った。一方、主要なヒトがんの前駆細胞の表現型の解析から、その特徴として異常な細胞増殖やその後のDNA損傷チェックポイント活性化が報告されている。そこで、DNA損傷チェックポイントの変化にも注目し解析を行った。まずγ線照射後40日および80日後のマウス萎縮胸腺についてTCRβ遺伝子座のD-J鎖組換えパターンを指標としてクローナル増殖の程度を調べた。クローナル増殖した胸腺細胞(C タイプ)は40日・80日とも約40%でみられ、その他はD-J鎖組換えパターンが正常な胸腺と同様のパターン(Tタイプ)であった。Cタイプの胸腺細胞の殆どはクローナル増殖しているのも関わらずCD4+CD8+(DP)細胞であったことから、この胸腺細胞はβ-selectionを通過した異常なDP細胞と考えられる。Cタイプ胸腺細胞の細胞周期はG1期に停止していたが、意外にもこの時γH2AXやChk1/2、p53といったDNA損傷チェックポイント経路の活性化はみられなかった。また興味深いことに、照射後40日のTタイプ胸腺細胞52例のうち17例でがん抑制遺伝子Bcl11bの領域にアリル欠損がみられた。この結果はアリル消失によって分化能を保持した状態のまま、胸腺細胞がクローナル増殖能を獲得したことを示唆する。以上の結果からヒトのCMLや悪性リンパ腫の場合と同様に、前リンパ腫細胞の成立には2段階のステップ、すなわち細胞増殖と分化停止が必要であると考えられる。