抄録
旧ソ連セミパラチンスク核実験場周辺の住民の被曝量を評価する目的で、核実験場周辺の村落で土壌サンプリングを行いPu-239,240とCs-137を測定してきた。いくつかの村の周辺で核実験場からの放射能雲の痕跡を確認できた。たとえば、1949年のソ連最初の核実験のグラウンドゼロから110km離れたDolon村近辺では、放射能雲通過にともなう明確な放射能汚染の分布が認められ、汚染分布をガウス関数でフィッティングした結果、村の北側2kmのところを放射能雲の中心軸が通過したと推定された。Cs-137の初期沈着量を、測定データからグローバルフォールアウトの寄与を差し引いて推定すると、雲の中心軸上で15 kBq m-2、ドロン村内では 7 ± 2 kBq m-2となった。Cs-137以外のFP核種の初期沈着量については、Cs-137に対する核分裂収率の比と放射能の輸送・沈着プロセスでのFractionation効果とを考慮して推定した。(難融性元素)/(揮発性元素)の比で表したfractionation効果(Kref)を、Dolon村周辺のPu測定データとCs-137測定データを用いて求めると、5という値が得られた。Kref=5を用いて沈着放射能からの地上1mでのガンマ線量を計算すると、Dolon村での積算空気線量は350 ± 100 mGyとなった。我々の計算に基づくと、沈着後1週間で積算線量の約70%、沈着後1ヵ月で約80%の被曝がもたらされる。我々の積算線量値は、Dolon村で採取されたレンガの熱蛍光を用いて推定された他の研究の値440 - 480 mGyと矛盾せず、現在の放射能汚染レベルを用いて50年以上前の初期汚染状況を推定する試みは有効な結果をもたらしたと考えている。