抄録
本稿では1855年に琉球王国に来航した3人のフランス人宣教師について,滞在が始まった年の彼ら自身とその関係者の日記や報告書に焦点を当て,来航の背景や滞在開始時の生活と人々との接触の様子を明らかにする。同時に「琉仏修好条約」が調印された年でもあるこの時期のフランス側における琉球の帰属認識等についても検証することを試みる。これらの記録を読み解くことによって,フランス人宣教師たちの文書を引用し多くの論考等で言及されている『日本キリスト教復活史』や琉球側の記録である『琉球王国評定所文書』等で明らかになっている出来事や人物たちの言動を補完し,1855年の宣教師滞在時の様相に新たな側面を付け加えることを目指すものである。