抄録
本稿は,1996年に大田県政によって打ち出された国際都市形成構想が,沖縄戦後史においてどのように位置づけられるべきかについて検討するものである。国際都市形成構想は,一般には基地の跡地利用に関する経済的なビジョンだとみなされている。だが,その意義は沖縄振興開発体制からの離脱を目指したという点にある。沖縄振興開発体制の起源は,1950年代の島ぐるみ闘争の盛り上がりと,それに対する米軍の対抗策に見出すことができる。その本質は,ケ
インズ主義的政策である。ケインズ主義的統治機構としての沖縄振興開発体制から逃れようと考える上で,ケインズ主義その後の新たな政治について論じたハイエクの思想は重要な意味を持つ。