日本ロボット学会誌
Online ISSN : 1884-7145
Print ISSN : 0289-1824
ISSN-L : 0289-1824
惑星探査ローバのアメリカにおける研究と開発
James D. Burke
著者情報
ジャーナル フリー

1994 年 12 巻 7 号 p. 986-992

詳細
抄録

無人探査宇宙船の月や火星への着陸の後に続く論理的なステップとして, 移動ロボットを上陸させることが長い間, 当然と考えられてきた.しかし, アメリカの宇宙計画でおきたことはこの順序に沿ったものとなっていない.本報では何がなぜ起こったかをふり返り, ミッションの結果, 技術上のアプローチ, そして将来の可能性について要約する.なお, 本シンポジウムの他の論文でより詳しく述べられている話題は簡単に触れるに留める.
アメリカの月探査ローバの研究は, 三つの段階にわけられる.まず, 1960年代初め, 月に質量約50 [kg] のローバを送り込むため, 「サーベイヤー」月着陸船の容量を確保しようとした.1964年の初頭にいくつかの装置が製作・試験されたが, いずれも月へは行かなかった.続いて, 有人の400 [kg] の短距離用ローバが開発された.それらのうちの3台がアポロ15号, 16号, 17号の飛行ミッションの一部として1971年と1972年に月で運転された.これらのアポロの成功に引き続いて, 200~300キログラムクラスの自動またはデュアルモード (人間搭乗・無人) のローバと, 人間を長期の踏査に連れ出すことができる数トンの移動気密室となるローバの2種の継続機を提供する試みがなされた.しかし, 1970年代のソビエトとアメリカの月開発の終結によって, どちらの提案も実現に致らなかった.
これらの月開発と並行してアメリカでは火星探査の長期技術プログラムが, ある時はプリプロジェクト状態に近付き, またある時は消えかかりながらも完全に放棄されることなく続けられてきた.その結果, 今日, 私達は数年のうちに実現可能な段階にある広範な月や火星の探査ミッション構想をもっている.しかし, 今日の資金的な抑制の下ではこれらの十分に研究された大規模ミッションのコンセプトはいずれも具現化しないであろう.そこで私達はこれよりはるかに小さなローバの開発に転向した.この開発には, 今日の小型化技術をローバ本体のみでなく, 搭載する計測器類にまで応用している.本シンポジウムに発表されている他の論文も, この研究の状況を述べたものである.

著者関連情報
© 社団法人 日本ロボット学会
前の記事 次の記事
feedback
Top