2023 年 4 巻 p. 41-48
本研究の課題は、濱田庄司(1894-1978)が1950年代以降に取り組んだ塩釉に対して、柳宗悦(1889-1961)がどのような解釈を行っていたか、明らかにすることである。この二人は、ともに民藝運動を牽引した人物としてよく知られる。柳が濱田を偉大な陶工として高く評価したことは有名であるが、濱田の塩釉に対する柳の解釈に関しては十分な研究がなされてこなかった。
本論文では、まず、濱田の塩釉技法について概要を確認し、続いて、1950年代当時の柳が形成していた「他力」をめぐる思想について概要を確認する。それを踏まえ第一に、柳の茶道論と、柳が「他力」に対して受動的な茶器の象徴として賞賛した濱田の塩釉茶碗との関係について考察する。
続いて、柳の「仏教美学」(浄土仏教に基づく美学)と濱田の塩釉作品の関連を、当時の柳が、無施釉の陶器(人工的な施釉は行われていないが、窯内で自然に釉がかかった陶器)に強い関心を抱いていたことに注目しながら考察する。
これらの考察から、柳は濱田の塩釉について、濱田の「他力」に対する受動性の反映として解釈・説明し、そこには、濱田作品を正当化する意図と、「仏教美学」の最新の例証を示す意図のあったことが明らかになる。