芸術学論集
Online ISSN : 2435-7227
河井荃廬の篆刻における中国古典の受容と展開
晩年の作風を中心として
権田 瞬一
著者情報
ジャーナル フリー

2024 年 5 巻 p. 41-50

詳細
抄録

河井荃廬は、近代日本の印人の中で最も傑出した人物の一人と評価されており、稿者は彼の篆刻における作風の変遷について、4期に分期し考察を進めている。

本稿では、4期目、つまり50歳から没する75歳時までの晩年期の作風について考察した。この時期の作風について先行研究では、「無精」、「簡素」、「面白みのないもの」として抑制された技巧に着目しているが、本論考ではその中に表れる荃廬篆刻の独創性について論究した。

稿者が特に注目している点として、印面の大きさによる作風の変化、及び小篆の朱文印に嶧山刻石の特徴が捉えられている点、なぜ重刻である嶧山刻石を受容したのか等について論じ、先秦時代の文字資料と小篆との融合した作例についても考察した。また、この4期目の刻線には、包世臣が『藝舟雙楫』において提唱した「気満」という書の理論が実践されており、その起筆と収筆の端々には「逆入平出」を窺わせる変化も垣間見え、包世臣理論の篆刻への具現化と捉えられる。

荃廬晩年の作風は、秦代の篆書刻石や石鼓文、古璽などを昇華し、40歳代を更に上回る普遍的で汎用性の高い作風を展開した。それは、刻線の端々や転折の隅々には計算された僅かな飾り気があり、情緒や派手な字形に流されることのない、篆刻における古典受容の一つの規範を示している。

著者関連情報
© 2024 芸術学研究会
前の記事 次の記事
feedback
Top