2026 年 7 巻 1 号 p. 67-77
本総説は、アラインメントソフトウエアMAFFT開発の背景と、そこから得られた数学的発想の広がりをまとめたものである。著者はDNA配列に潜む周期性からFFTを用いた相互相関計算を着想し、この方法がMAFFTの高速化に取り入れられた。MAFFTの基礎には、配列を数値ベクトルとしてFourier基底上で扱う発想があり、これはアミノ酸スコア行列のPCA、塩基置換行列のHadamard基底による対角化など、他の生物情報解析とも共通している。さらに、遺伝的多様性解析におけるPCAや距離行列の構造も、内積空間・線形代数学の枠組みで統一的に理解できる。著者はこれらを「遺伝幾何」と位置づけ、配列・進化・多様性を幾何学的に扱う視点の有用性を強調する。この考え方は、AIモデルにおける埋め込み表現や位置符号化などの表現学習の枠組みとも数学的に親和性が高く、今後の発展が期待される。
この総説では、アラインメントソフトウエアMultiple Alignment using Fast Fourier Transform(以下MAFFT)を取り上げる。DNA配列、RNA配列、タンパク質配列をまとめて生物情報配列と呼ぶこととする。コンピューターにおいて解析される際は、生物情報配列は文字列として扱われる。そしてアラインメントとは、生物情報配列を比較したときに、文字を対応させる作業である。アラインメントは、系統解析や構造予測、機能解析の基盤となる。MAFFTはウイルスのデータベースGlobal Initiative on Sharing All Influenza Data(GISAID)において、公式に提供されている系統解析機能(treetool)でも用いられており[1]、国際的な感染症研究の基盤技術の一つになっている。
このMAFFTは、加藤和貴博士を中心に開発され、2002年に公開された世界を代表するアラインメントソフトウエアである[2]。原著論文は2026年4月10日時点で13,813回引用されており、筆者が関与していないMAFFT version 7[3]に至っては27,801回引用されている。さらに、MAFFT version 7は、Clarivate Analytics日本法人による「平成時代のブレークスルー:世界で最も引用された平成時代の日本の論文Top20」において、第8位にランクされている[4]。これらの事実は、MAFFTがアラインメントソフトウエアとして世界を代表するソフトウエアの一つであることを示している。
MAFFTは公開後、Clustal W[5]、TCoffee[6]、MUSCLE[7]など、数多くのアラインメントソフトウエアと比較されてきた。その結果、速度・精度ともに常に上位に位置づけられている[7, 8]。
MAFFTには後藤のアルゴリズム[9]やPartTree[10]など、さまざまな速度向上の工夫がなされている。それらの工夫の一つに、高速フーリエ変換(FFT)の導入がある。この総説ではMAFFTにFFTが導入された経緯を紹介し、そこから発展した研究について紹介する。
まず筆者の自己紹介から始める。筆者は小さい頃から昆虫採集したり動物を飼ったりすることが好きで、小学校の3年生か4年生の頃には生物学者になることを考えていた。また、兄の影響でアマチュア無線の電話級の試験を受け、小学3年生で落ち、小学4年生で合格した。さらに高校の時は、2級の試験を受験したが、モールス符号が壊滅的で、これまた不合格だった。結果は不合格で終わったが、振り返ってみれば、アマチュア無線の試験勉強は、信号がどのようにノイズと区別されるのかを学ぶ機会でもあった。また、電磁気学について基礎的な素養を身につける契機ともなった。
その後、筆者は工学系の大学に1年間在籍し、電磁気学をより体系的に学ぶ機会を得た。この過程でフーリエ変換にも触れることになったが、当時はこのフーリエ変換が、後に生物学の大学へ進学した後、DNA配列を解析する際に役立つとは想像もしていなかった。しかし結果的には、ここで身につけた考え方が、配列を「信号」として捉え直す視点につながることになる。
生物学者になりたかった筆者は、京都大学理学部に入学した。大学生の頃に、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』[11]を読んだことが、利他行動の進化を考えるきっかけになった。そこで興味を持った生物が細胞性粘菌であった[12]。細胞性粘菌は、普段は単細胞として暮らしている。周囲に餌がなくなり飢餓状態となると、集まって多細胞生物のような行動を始め、最終的に、胞子を作る細胞と、柄となって胞子を支える細胞へと分化する。柄となる細胞は利他行動をしていると言える。
当時の京都大学理学部の制度では、学部3回生の時に、学生実験の一環としていくつかの研究室で実習を行い、その後、卒業研究を行う研究室を選択するという流れであった。そこでまず、細胞性粘菌の研究をしている研究室の実習を受けた。ただ、細胞性粘菌の研究室では、筆者は、実験で何度も失敗を繰り返した。DNA抽出のためにサンプルをすりつぶしていた時は、サンプルではなく乳鉢を破壊した。細胞の増殖を調べるために顕微鏡を覗いた時は、細胞数カウント用のスライドグラスを壊した。PCRでも思うように増えず、電気を通す電解質溶液を使わず純水を用いて、電気泳動用の寒天を作った時は、DNAを電気泳動させてみるまでそれに気づかなかった。またその実習は、同学年の北上田敦君とコンビでやっていたが、彼も次第に実習に来なくなった。そこで自分でも「実験には向いていない」と感じるようになった。その研究室を主催する指導教官からも、それとなく進学しないよう言われた。
生物実験が思うように進まなかった経験を経て、筆者は、純粋な実験とは異なる別のアプローチに進んだ方が良いと感じた。研究を続ける中で、次第に細胞性粘菌の細胞の動きそのものよりも、そのゲノムのDNA配列に内在する構造へと関心が移っていった。ある日、その研究室の大学院生の方が調べていたmRNA配列を見せてもらったところ、末端のAの繰り返しの中に10塩基または11塩基ごとに1つTがあるように見えた。そこで、フーリエ変換を思い出した。フーリエ変換は、配列を数値系列として捉え、周期性や繰り返し構造を抽出するのに適している。フーリエ変換は、さまざまな周期の三角関数との内積をとることで、信号の中に含まれている周期成分を調べることができる。このとき筆者が直感的に感じたのは、フーリエ変換による相関解析という枠組みが、配列中の構造的な対応関係を捉える問題、すなわちアラインメントにも応用できるのではないか、という点であった。次節では、この直感がどのように多重配列アラインメントという具体的な問題に結びついたかを述べる。
次に実習先として選んだのは、分子進化学を専門とする宮田隆氏の研究室であった。そこで与えられた実習課題は、分子系統樹の作成であった。課題の手順は明確に定められており、まず多重配列アラインメントを作成し、次にそのアラインメントに基づいて進化距離を推定し、得られた距離行列を用いてNJ法により系統樹を構築する、というものであった。
ここで簡単にアラインメントの手順を解説する。全てのアラインメントの集合をAとし、各アラインメントa∈Aに対して定まる評価関数をf(a)とする。このとき、最も良いアラインメントabestは、集合Aの中でスコアf(a)を最大にするアラインメントを求める問題として式(1)で表せる。
| (1) |
DNAやRNA配列は4種類の塩基、アミノ酸配列は20種類のアミノ酸から構成される。各文字の組み合わせに対してスコアを定義する。一般にこのスコアは、ある2つの文字が進化的に「変わりやすい」関係にあるときには高スコアが与えられ、「変わりにくい」関係には低スコアが与えられる。評価関数f(a)は、このスコアを元に定められる。
全てのアラインメントの集合Aは大きくなるため、動的計画法で効率的に探索する方法が開発された。代表的なものがNeedleman Wunsch[13]と後藤のアルゴリズムであり詳しくはアラインメントに関する書籍を参考にしていただきたい[14]。この動的計画法の利用は、良いアラインメントが実用的な時間内に得られるようになったという点で、極めて意義が大きいものであった。またMAFFTやClustal Wなど現代でも使われているプログラムにも動的計画法は使われている。しかし、動的計画法では、マトリックスを作るため、CPU時間、メモリ消費量ともにコストがかかる。この計算コストの問題を前にして、筆者は動的計画法とは異なる視点から配列間の類似性を評価できないかと考えるようになった。その際に着目したのが、次に紹介する相互相関関数である。
実習の後、卒業研究を行う場所として宮田隆先生の研究室を選んだ。Clustal Wが遅いという問題に直面している時に、筆者が思い出したのが、相互相関関数であった。以前図書館で読んだフーリエ変換の教科書に載っていたものだった[15]。長さnのデータ列に対し、相互相関関数は、高速フーリエ変換を利用して計算量O(n log n)で求めることができる。
2つの関数f(x)とɡ(x)がある時、ラグkに対するf(x)とɡ(x)の相互相関関数Corr[f, ɡ](k)は式(2)により定義される。
| (2) |
式(2)からわかるように、相互相関関数は、一方の関数ɡ(x)をラグkだけ平行移動させたときに、f(x)との内積を計算することで定義される。Corr[f、ɡ](k)の値が大きいほど、ラグkにおける2つの関数の類似度が高いことを意味する。このとき、添字iは、両者の積f(i)ɡ(i+k)が定義される範囲に制限されており、iの最大値をlmaxとしている。
相互相関関数を配列に応用すれば、アラインメントをせずとも距離を推定できる。そう考えた筆者は、文字列を数列にすればよいと着想した。相互相関関数は内積であるので、文字を数値に変換する方針としては、文字が似ている時に高くなるような数値が良いと考えた。
最初にDNA配列を数値化する方法を考えた。DNAを構成する塩基はたった4種類しかないため数値化は簡単である。まずアデニン(A)に1、それと相補的なチミン(T)に-1を与える。次に、虚数単位iを用い、グアニン(G)にi、シトシン(C)に-iを対応させる(図1)。異なる数値化を用いても差し支えない[16]。それぞれの塩基を一つの複素数に対応させることで、DNA配列を1つの複素数列に変換できる。2つの複素数列から、高速フーリエ変換を用い、相互相関関数を求めることで、文字列としての生物情報配列の相関関数を求めることができる。この相互相関関数の最大値を距離に変換し、距離行列を作ることで系統樹を作成できる。これが筆者の卒業研究としてまとめた内容だった。

その後、筆者は東京大学の田嶋文生先生の研究室に進学した。この頃、学部時代に実習を共にしていた北上田敦君が、病により若くして亡くなったという知らせを受けた。研究を続けたくても、続けられなくなることがあるのだと知った。
筆者が宮田研を去った後、1学年下の加藤和貴博士から「三澤さんの手法で距離を求める方法を使っていいか」とのメールをいただいた。筆者は「相互相関関数は近さだけでなく位置の情報も含んでいます。ピークの高さは類似性を、ラグはどれくらいずらせば一致するかを示します」と説明した。相互相関関数のピークは、そこにホモロジーがあることを示唆する。そのため相互相関関数のピークから、ホモロジー領域を高速に特定できる。特定したホモロジー領域の情報を活用することによって、動的計画法によるアラインメント推定を行う範囲を狭めることができる。また、ホモロジー領域をつなぐことにより良いアライメントができる。この作業には動的計画法が利用される。ここがMAFFTを素晴らしいソフトウエアにしたポイントである。相互相関関数が与える情報を直感的に理解しやすくするため、まず相互相関関数|Corr(k)|の計算例を図(2)に示す。次に、このピーク情報を用いて、アラインメント問題を分割し、動的計画法を適用する範囲を限定する方法を図(3)に模式的に示す。

横軸Lag(k)は、一方の配列をどれだけ平行移動させて比較するかを表す。縦軸|Corr(k)|は、対応するラグにおける相互相関の絶対値であり、これが大きいラグほど、配列間に強い類似性が存在することを示す。本図のピーク位置は、後続のwindow解析および動的計画法によるアラインメント処理の起点として用いられる。

実線で囲まれた領域はwindow解析によりホモロジーが示唆された部分を表し、点線で囲まれた領域が動的計画法によるアラインメント推定の対象となる。
次の問題はDNA配列と同じようにアミノ酸配列も数値化することであった。そのためMiyata and Yasunaga[17]が参考になった。この論文ではGranthamが求めたアミノ酸を体積と極性の値を用いる[18]。図4はアミノ酸の極性と体積を、平均を0、分散が1になるように正規化してプロットしたものである。また太字は疎水性アミノ酸、斜体は親水性アミノ酸である。以上の手順からDNAの4塩基、および20種のアミノ酸それぞれを意味する文字を2つの数値に対応させることができた。

その後、加藤さんが中心になり、MAFFTの作成および論文の執筆作業が行われ、筆者も連絡を取り合っていた。その途中で、筆者は田嶋文生氏の紹介により、Pennsylvania State Universityの根井正利氏の研究室にポスドクとして所属することになった。根井研に移った後、筆者は「凄いアライメントソフトウエアができつつある」と根井先生に伝えたが、根井先生はあまり関心を持たず、共著者に入ることもなかった。その後、筆者が同研究室に在籍している間に、MAFFT論文は出版されることとなった。分子進化の分野を代表する宮田隆先生と根井正利先生の共著が、実現しなかったことについては、今でも少し残念に思っている。
ここでは一旦アルゴリズムの具体的な実装の詳細から離れ、MAFFTの設計思想を支えていた数理的な枠組みを、より一般的な観点から捉え直す。この節では内積空間の話をする。MAFFTを通じて学んだことがこの内積空間の活用だからである。図2は列ベクトルと行ベクトルから行列ができる様子を模式化したものである。列ベクトルの各成分と行ベクトルの各成分の積をとったものが対応する行列要素になる。MAFFT以前のアラインメントソフトウエアでは、動的計画法に基づくアラインメント推定のために、2つの配列からDPスコア行列を明示的に構築することが一般的であった。DPスコア行列の作成は、図5で示した列ベクトルと行ベクトルから行列を作る操作と類似している。具体的には、2つの配列の一つを列ベクトルに、もう一つを行ベクトルにして、各文字についてある種の演算を行うことで、配列全体に対応するDPスコア行列を作成する。MAFFTの高速化が成功した一因は、このDPスコア行列が作成される範囲をできるだけ小さくしたところにある。その代わりに、三角関数が作り出す基底に射映して、その空間で考えることで相互相関関数を求めている。

ここから話題を一段抽象化し、MAFFTの設計の背後にあった数理的枠組みを考える。特に本節では、アミノ酸スコア行列を低次元の内積空間として捉える視点を導入する。2つの文字に対して1つのスカラー値としてのスコアが定められている。これは、2つの文字の間の内積を定義していることと同じである。それにより、文字が内積空間を形成することになる。この文字間の内積を求めるにあたり、文字を一旦体積と極性という座標からなる長さ2のベクトルとして扱い、その間の内積を文字の内積とみなしている。
DNA間やアミノ酸間のスコアが1つでないのと同じように、DNAやアミノ酸を数値化するベクトルの取り方も多数考えられる。DNA間やアミノ酸間のスコアから、基底ベクトルを導き出すこともできる。
基底ベクトルを取る方法の一つとして、広く使われている手法が主成分分析(PCA)である。PCAは、行列の各列ベクトル(または各行ベクトル)をある方向に射影したとき、その射影の分散が最大になるような基底ベクトルを見つける手法である。図6は置換スコアPFASUM31[19]に対して、PCAを行い、第一主成分と第二主成分のみをプロットしたものである。PFASUM31は、Pfamデータベース[20]に収録された手動キュレーション済みの複数配列アラインメントを基に作成された、比較的最近のアミノ酸置換スコアである。比較しやすいように、第一主成分と第二主成分は平均0、分散1になるように正規化してある。太字は疎水性アミノ酸、斜体は親水性アミノ酸である。第一主成分の寄与率は56.3%、第二主成分の寄与率は13.9%であり、この2つの次元で分散の70%近くを説明できる。図4で示した人手で選んだ2次元と、図6で示したPCAで得た2次元とは、アミノ酸置換の低次元表現という点で共通している。

内積空間で考えることの利点は、アミノ酸スコア行列に限らず、塩基置換行列にもある。以下、塩基はC、T、G、Aの順に並んでいるものと考える。時間tの後に、ある塩基iが別の塩基jになっている確率をp(t、i、j)とする。ij成分がp(t、i、j)である行列をP(t)とする。P(t)は式(3)のチャップマン=コルモゴロフ方程式を満たす。
| (3) |
このことから式(4)のようにP(t)を時間tで微分することができる。
| (4) |
ここで、
| (5) |
b=cとしたものが広く使われている木村の2パラメータモデル[22]、a=b=cとしたものがJukes-Cantorモデルとなる[23]。
ここで、塩基のコード化を内積空間における基底ベクトルの選択という観点から捉え直す。MAFFTでは実軸と虚軸の2次元を用いたが、より一般的には、4種類の塩基を4次元の内積空間で表現することができる。まず(1、1、1、1)というベクトルを考える。各塩基が出現する確率を(πT、πC、πA、πG)と表すと、確率の性質からπT+πC+πA+πG=1が成り立つ。ベクトル(1、1、1、1)と(πT、πC、πA、πG)の内積はπT+πC+πA+πGとなるため、このベクトルはπT+πC+πA+πG=1であるという制約に対応する成分であることがわかる。次に(1、1、-1、-1)は塩基をプリンとピリミジンに分類する成分である。(1、-1、1、-1)は相補的な塩基であるAとTに1、CとGに-1を与える成分に対応する。最後の(1、-1、-1、1)は、これら3つの成分と直交し、基底を完備する残りの成分である。これら4つのベクトルをまとめると、式(6)で示した次数4のアダマール行列H4を構成する。
| (6) |
アダマール行列は、直交性と正規化という制約を満たす最も単純な基底の一つであり、塩基の確率的性質や相補性を同時に表現するのに適している。置換確率行列P(t)を式(6)の基底で表すと、木村の3パラメータモデルの行列行列が対角化される[24]。ここでの対角化とは、H4が与える基底へ座標変換することにより、元の置換行列を対角行列として表す操作のことである。
| (7) |
塩基置換過程が4つの独立した成分に分解され、解析が大幅に簡単になる。ここで示した置換行列の対角化という手法は、抽象的な理論整理にとどまらず、実際の分子進化の解析にも応用されている。その具体例としてSARS-CoV-2の塩基置換過程を考える。現実の塩基置換は木村の3パラメータモデルには当てはまらないことがある。この抽象的な枠組みが、現実のウイルス進化の解析で活きる例として1つが我々を悩ませた新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の塩基置換を取り上げる。新型コロナウイルスは、宿主であるヒト側のRNA編集酵素、たとえばAPOBEC3により、ウラシル(U)がCへと書き換えられてしまう。そのためUからCへの置換が際立って多い。そこで筆者は式(8)のモデルを立てた。これはCからUの置換速度だけhであり、それ以外の置換はaで表されるモデルである。
| (8) |
対角化を利用して、このモデルの元での置換確率P(t)も式(9)で計算できる。
| (9) |
ここで、Qは式(10)で表される式である。
| (10) |
世界中の様々な地域から採取され、GISAIDに登録されている9,157個のSARS-CoV-2ゲノム配列を用いて、ヌクレオチド置換数を調査した。まず、2019年12月31日に採集されたサンプルを全てのSARS-CoV-2の祖先と同じRNA配列を持つと仮定し、2020年の12月31日にサンプルされた1,792個のSARS-CoV-2ゲノム配列を用いて、SARS-CoV-2ゲノムにおける置換率を推定した。SARS-CoV-2におけるC-to-U置換率は、サイトあたり年間1.95×10-3±4.88×10-4であり、他のすべての種類の置換は、1.48×10-4±7.42×10-5であった。このモデルから推定された塩基頻度の変化を2020年の6月30日、2021年の6月30日、2021年の12月31日でのSARS-CoV-2ゲノムのゲノムと比較したところ、この推定値から予想される塩基頻度の変化が、実測値に合っていることが観測された[25]。
先述のように、PCAで得られた低次元の基底を用いることで、アミノ酸置換空間に内在する遺伝的多様性を可視化することができる。同様に、遺伝的多様性に対しPCAを実行し、複数の個体や集団について観測された遺伝的多様性の構造を低次元空間に射影して可視化することができる。具体的には、各個体を行、各遺伝的変異を列とする行列を考え、そこから得られる遺伝的関係行列や分散共分散行列を対角化することによって、主要な変動方向を求める。その結果、個体間の遺伝的差異が少数の主成分として要約され、平面上の配置として直感的に理解できるようになる。
この解析の流れを概念的に示したものが図7(a)である。遺伝型データを入力として、個体間の分散共分散構造(あるいは遺伝的関係行列)を推定し、それに主成分分析を適用することで、低次元空間における個体配置として遺伝的多様性を可視化できることを示している。

(a)遺伝的多様性に対する主成分分析(PCA)の解析フローを示す概念図。VCF形式の遺伝型データを基に、個体間の分散共分散行列を計算、それを主成分分析によって対角化することで、低次元空間における個体配置として遺伝的多様性を可視化する。
(b)ヒト集団における遺伝的多様性の主成分分析の具体例。佐渡島集団および国際1000ゲノムプロジェクトに含まれる各集団の全ゲノムデータを用いてPCAを行った結果を示す。PCAは、佐渡集団の1,747名の個体と、国際1000ゲノムプロジェクト(1000G)に含まれる5つの集団、すなわち東京在住日本人(JPT;n=104)、北京在住漢民族(CHB;n=103)、中国南部漢民族(CHS;n=105)、ナイジェリア・イバダンのヨルバ人(YRI;n=108)、および北・西ヨーロッパ系米国人(CEU;n=99)のサンプルを統合したデータに対して、plink 2.00 alphaを用いて実施した。1000Gフェーズ3の全ゲノム配列データはFTPサイトから取得した。統合後のデータに対し、マイナーアレル頻度5%超、genotyping成功率99%超、およびHardy-Weinberg平衡検定のP値が0.001超という条件でSNPをフィルタリングした。さらに、plink 2.00 alphaの―indep-pairwise 50 10 0.01オプションを用いたLDプルーニングを行い、最終的に329,791個のSNPを解析に用いた。上段には、解析対象サンプルに対する主成分分析の第1主成分および第2主成分を示す。下段には、東アジア集団(佐渡島集団、JPT、CHB、CHS)周辺領域を拡大して示した。このPCAプロットから、佐渡集団がJPTと同一のクラスターを形成していることが分かる。この図は、引用文献[26]の主成分分析結果を、Creative Commons Attribution 4.0 International License(CC BY 4.0)に基づき再利用したものである。
図7(b)は、図7(a)で示した概念を実際のヒト集団データに適用した具体例である[26]。具体的には、佐渡PROSTコホート研究において採取されたヒト集団と、日本の他地域から採取された集団とのあいだの遺伝的多様性の違いを評価するために、本手法が用いられている。主成分分析によるこのような可視化は、ヒト集団間の遺伝的構造を直感的に把握する方法として、これまで広く利用されてきた。
古くはCavalli-Sforzaのグループの研究がある[27]。これまでの研究により、遺伝的共分散と地理的距離のあいだに密接な対応関係が存在することが示されてきた。2008年にヨーロッパのヒトゲノムの多様性を主成分分析で図示する研究は、Genes mirror geography in Europeという印象的なタイトルで発表された[28]。同じ2008年に山口(加畑)博士を中心に日本のヒトゲノム多様性について主成分分析が行われた[29]。筆者も筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因遺伝子を探索する研究に参加する際に、患者群とコントロール群の遺伝的多様性の違いを見るために、PCAを利用した[30]。フグの遺伝的多様性を見る際にも利用されている[31]。
このような遺伝的多様性の主成分分析も、線形代数学の考え方で見ると明確になる。遺伝的多様性では個体で考えることが普通だが、ここは単純化のため、McVean[32]に従い、DNA配列で考える。まずDNA配列を数値に変更する。ある一つの配列を参照配列として、配列iがサイトkで参照配列と同じ塩基を持っている時にzki=0、違う塩基の時にzki=1へと符号化する。なお、McVean[32]が指摘するように、何を0と1に符号化するかは、後の議論に影響がない。祖先型を0、子孫型を1にしてもよいし、数の多い方を0、少ない方を1としても良い。また詳細は示さないが4つの塩基に拡張することも容易である。サイトkの情報をベクトルとして表す。i番目の成分をzkiとするベクトルをzkとする。全部でN本のDNA配列があるとき、zkの長さはNとなる。またzkは列ベクトルとする。
遺伝的多様性の主成分分析では、配列間の分散共分散行列を求める。そのため、まず、各サイトでのベクトルの成分から、平均値を引き、各サイトでの平均値を0にする。そのために、長さlですべての成分が1である列ベクトル1を用いる。mk=1T zkはベクトル1とzkの内積であり、サイトkにおける1の数の合計となる。Xki=zki-mk/Nを計算し、i番目の成分をXkiとするベクトルをXkとすることで、平均値が0となるベクトルXkを作成できる。分散共分散行列は、式(11)で求められる。
| (11) |
この式はMcVean[32]の式(8)-式(10)の導出と同じものである。これを各サイトの分散の逆数wkでウエイトをかけて和をとった式(12)が全体の分散共分散行列Mとなる。
| (12) |
行列の構成から考えると、分散共分散行列と距離行列という一見異なる量が、実は本質的には同一の情報を表現していることがわかる[33]。この対応関係に気付いたとき、筆者は、率直に驚き、これらを統一的に理解する枠組みとして「遺伝幾何」という着想に至った。分散共分散行列と距離行列の違いは、符号、定数倍、および平均値の取り扱いといったごく基本的な点に限られている。以下では、この対応関係を数式として明示する。
ここで距離行列を考える。サイトkで配列iと配列jが同じ時に0、違う時に1となる値dkijを考える。zki∙zkjはzki=1かつzkj=1ならば1、それ以外は0となることから、式(13)が成り立つ。
| (13) |
これをij成分とする行列Dkは式(14)で求められる。
| (14) |
式(15)にあるように距離行列Dは、各サイトkに由来する距離行列Dkの和として表されるとする。
| (15) |
ここで、式(14)に戻り、各行の合計が0となるD′kをDkから作ると式(16)となる。
| (16) |
式(11)と式(16)を見比べると、式(17)が成り立つことがわかる。
| (17) |
式(17)から、分散共分散行列と距離行列の間の違いは、
(1)各サイトに対する重み付け、
(2)平均値の取り扱い、
(3)定数係数(-2)
の三点に集約されることがわかる。これらを除けば、両者は同一の構造を持つ行列であり、同じ遺伝的情報を異なる表現で記述しているに過ぎない。
先述のとおり、これまでの多くの研究において、PCAを用いることで、ヒト集団の地理的距離と、遺伝的変異パターンとの間に密接な対応関係が存在することが示されてきた。これらの結果は、PCAによって得られる低次元空間上の配置が、地理的分布をよく反映するという経験的事実として広く受け入れられている。一方、PCAは本質的に、分散共分散行列が持つ情報を低次元空間に射影する操作である。本節で示したように、行列の構成という観点から見ると、分散共分散行列と距離行列は、符号や定数倍、および平均値の取り扱いといった点を除けば、本質的には同一の情報を表現している。以上を踏まえると、PCAによってこれまで示されてきた地理的距離と遺伝的変異パターンとの対応関係とは、実際には、地理的距離と遺伝的距離との対応関係を可視化していたものと解釈することができる。この再解釈は、遺伝的多様性を距離と幾何として捉える「遺伝幾何」という視点に自然につながる。
別の言い方をすると、遺伝的変異は地理的な意味で局所的に存在していることを意味している[34]。また遺伝的な意味での空間と地理的な意味での空間を比較していることになる。
学部時代に実習を共にしていた北上田敦君は、灘高出身で数学オリンピック出場経験もある、将来を嘱望される若手研究者であった。「数学が得意な彼が生きていたらどのような研究をしていただろうか」と、今も折に触れて思い出すことがある。こうした思いは、筆者が自分自身の研究の立ち位置を折に触れて振り返る中で、本稿で述べる研究を改めて位置づけ直そうと考える背景の一つとなっている。
これまで本稿で見てきたMAFFTにおける相関解析、スコア行列の基底変換、塩基置換行列の対角化、そして主成分分析は、一見すると異なる問題を扱っているように見える。しかし、これらはいずれも内積空間上における射影や基底変換として捉えることができる点で、共通の数理的構造を共有している。
本節では、この共通構造を筆者が「遺伝幾何(Genetic Geometry)」と呼ぶ視点として整理する。名称は「情報幾何」にならった[35]。ここでいう遺伝幾何とは、個体や集団をある空間内の点として表現し、それらのあいだの関係を距離や内積として定式化することで、遺伝的多様性を空間構造として理解しようとする枠組みである。分散共分散行列や距離行列は、そのような空間構造を記述するための異なる表現に過ぎず、同一の遺伝的情報を異なる座標系で捉えたものとみなすことができる。
この遺伝幾何の視点を採用することで、個別の解析手法に依存することなく、遺伝的データが本来持つ構造そのものに着目した議論が可能となる。この総説で示した議論が、遺伝的多様性を理解するうえで、遺伝幾何という視点の有用性を考える一つの手がかりとなれば幸いである。
DNAの塩基、タンパク質のアミノ酸を内積空間で表現する考え方は、現在の大規模言語モデルで用いられる、単語を単語間の関係からベクトルとして表現する埋め込みと同型の発想である[36]。また、大規模言語モデルとして成功を収めたTransformer[37]では、位置をPositional Encodingとして数値化する。Positional Encodingでは、三角関数の基底を用いて順序を符号化する試みも行われている[38]。フーリエの基底で構造を表すという点でMAFFTの枠組みと親和的である。すなわち、本稿で紹介した配列解析・置換行列・遺伝幾何における幾何学的・スペクトル的な視点は、これらAIモデルの表現学習とも構造的に共通点が多い。生物情報解析と人工知能のあいだに、今後より豊かな相互作用が育まれ、生産的な循環が生まれることを期待しつつ、本稿の結語としたい。
本稿の作成にあたり、加藤和貴博士から多くの有益な助言を頂いた。ここに深く御礼申し上げる。また、本稿は横浜市立大学データサイエンス学部における特講(バイオインフォマティックス)の内容をもとに構成しており、議論に参加してくれた受講生の皆さんにも感謝の意を表したい。さらに、原稿の検討に際して貴重なコメントを寄せてくださった横浜市立大学の立岡幸大氏にも記して謝意を申し上げる。本研究はJSPS科研費(JP25K22410)の助成を受けて実施した。さらに、横浜医療振興財団の2025年度「医療デジタル化助成」による資金提供を受けた。また妻には特別に感謝したい。報告すべき利益相反はない。本稿を、北上田敦君に捧げたい。