2013 年 69 巻 1 号 p. 42-53
近代以前の琵琶湖や内湖沿岸の水郷集落では,集落内に張り巡らされた水路が,田舟による荷物の運搬,生活用水,農業用水等に用いられ,長きにわたり生業の風景を形成してきた.本研究は水郷の面影を残す数少ない集落の一つである伊庭(東近江市)を対象に,文書や地図資料に基づき明治・大正期の水路網構造を復元し,明治以後の水路網の変遷(埋立,暗渠化,付替えなど)ならびに住民による各時代の水利用の実態について明らかにした.その結果,集落内に網目状に広がる水路が多面的な役割を有していたこと,水路自体の役割の変化が水路構造の変容と持続に密接に関わっていたことを明らかにした.