抄録
吉野ヶ里遺跡の墳丘墓(B. C. 150年頃)は主に層築で構築された我が国最古の巨大盛土構築物である.盛土の構築技術は,レベルの低いものから,堆築,層築,版築の3段階に分類できることを示し,吉野ヶ里墳丘墓の構築技術のルーツであると考えられる中国江南地方の土□墓(西周~戦国時代),と山東半島の墳墓(前漢~後漢時代)と吉野ヶ里墳丘墓の埋葬物の墳墓内の位置など様々な実態の比較,ならびに上記3段階の構築技術のこれら墳墓への適用についての検討を行った.墳丘墓以外の文化・技術のルーツや伝播も考えた結果,江南の土□墓もしくは山東半島の墳墓の構築技術が,朝鮮半島経由ではなく海を経て直接,北部九州の吉野ヶ里に伝播したことを結論とした.