抄録
弘化四年に発生した善光寺地震は多くの土砂災害を発生させている.このうち特に甚大な被害を発生させたものに,岩倉山の崩壊による犀川のせき止め湖決壊洪水がある.これらの災害に関する古記録は豊富で,既往の研究が精力的に実施されているが,煤花(裾花)川のせき止め湖決壊災害に焦点を絞った研究は少ない.本研究は,河川災害史研究の見地より,地震後に発生した土砂災害とその後,明治初期までの間の河川災害と川除普請について時系列的に俯瞰し,善光寺地震と煤花川河川改修の関わりを論述する.下流域左岸の文政期御普請堤は壊滅的な被害を受けたが,流域農民による20年余に及ぶ川除普請により二線堤構造が復旧されたことが分かった.