2016 年 72 巻 1 号 p. 97-106
日本の石造アーチ橋の多くは九州に分布し,江戸後期から昭和初期の近代化の流れの中で,ごく普遍的に社会基盤のツールとして造られてきた.一方で著名な石橋以外の多くの場合,架設年や石工などがよくわからず,設計図などもほとんど残っていない.加え,資料の不足などにより,十分に評価されていない事例も多く見受けられ,それらの再調査・再評価の必要性が感じられる.この様な中で,明正井路一号幹線第二拱石橋について考察した結果,全国的にも事例の少ない鉄管逆サイフォンと石造アーチ橋が組み合わさった水路橋で,現役で使用されている同形状の水路橋としては最も古いことが判った.また,設計者の矢島義一は工手学校や耕地整理講習で当時の最新技術を学んだ若き技術者であった.