土木学会論文集D2(土木史)
Online ISSN : 2185-6532
ISSN-L : 2185-6532
72 巻, 1 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
和文論文
  • 清水 英範
    2016 年 72 巻 1 号 p. 1-19
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/01/20
    ジャーナル フリー
     日本政府は明治19年(1886),首都・東京の西欧化を図るべく,中央官庁街の建設プロジェクト(官庁集中計画)をドイツの建築設計事務所に託した.ベックマン条約は,その具体的な業務や条件等について日本政府と同事務所の建築家ヴィルヘルム・ベックマンが交わした条約である.これらを主導したのは井上馨外務大臣であった.本研究は,これまで不明な点が多かったこのベックマン条約について,新たな史料を用いて初めて詳細に論じたものである.代表的な成果を示す.1) 同条約は閣裁を経ずして約定されたという事実を明らかにした.井上は伊藤博文総理大臣と協議はしたが,半ば秘密裏にベックマンと交渉を進めたのだった.2) 条約書の全文を明らかにした.そこには,工事の入札や紛議の仲裁に関する規定をはじめ,多くの新事実が含まれていた.
  • 五十畑 弘
    2016 年 72 巻 1 号 p. 20-39
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/03/20
    ジャーナル フリー
     産業遺産や現在も供用下にある歴史的土木構造物に対する関心が高まりを見せている.これらの資産をまちづくりや地域活性化の視点から活用する動きもある.社会資本の老朽化に伴う長寿命化や耐震化対策の中で,構造物として求められる本来の機能を維持とともに,歴史的,文化的価値を継承するための保全は,供用下にある歴史的土木構造物に対して,大きな課題となりつつある.
     本文では,世界遺産および重要文化財に指定された供用下にある土木構造物を対象として,歴史的土木構造物の評価と保全に関する調査を行った.得られた調査結果を相互に比較・分析をすることによって,供用下にある歴史的土木構造物の価値および保全について考察を行った.
  • 橋本 政子
    2016 年 72 巻 1 号 p. 40-49
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/05/20
    ジャーナル フリー
     わが国の近代道路計画史上のエポックメーキングとなった日本初の高速道路の完成から半世紀を経た.片平信貴(1913-1989)は,戦前から高速道路の調査計画に携わり,戦後の本格的高速道路建設時代には,名神高速道路部長,高速道路静岡建設局長等を歴任し,名神・東名高速道路建設の現場を率いた.本稿では,道路技術者として活躍した片平の著・編による98編の報文・論文・文献とこれら資料の引用や他者が片平について記述した記録や文書等を含めて網羅的に収集した計198編を一次資料として片平と周縁の技術者との関係性に着目しつつ,片平の50年余にわたる高速道路への取り組みの全容を明らかにするとともに日本の高速道路史における技術者としての系譜や位置づけについて考察することを目的とする.
  • 林 倫子
    2016 年 72 巻 1 号 p. 53-67
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/06/20
    ジャーナル フリー
     宇治川電気株式会社(宇治電)による宇治川水力発電事業第一期工事では,初期の設計変更により水槽と水圧鉄管が平等院の宇治川対岸にあたる仏徳山(隣の朝日山含む,宮山とも表記される)の山腹に設けられることとなり,景勝地宇治の風致毀損が問題となったものの,本多静六による「風致復旧設計」により解決を見た.本研究では,同工事における風致対策の検討過程を明らかにした.その結果,宇治の風致対策として,本多案とは異なる方針や具体的手法が宇治電や地元保勝会より提案されていたこと,また大森鍾一京都府知事の意向が強く反映されて風致対策が決定されていたことが明らかとなった.
  • 岩本 一将, 出村 嘉史
    2016 年 72 巻 1 号 p. 68-75
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/06/20
    ジャーナル フリー
     明治末の岐阜では,地元有志者らによって軽便鉄道が建設された.本研究では,鉄道省文書や岐阜県会速記録等を用いて,軽便鉄道の建設およびその経営が,以下のような意図と経緯で進められたことを明らかにした.岐阜市郊外に建設された長良軽便鉄道と岐北軽便鉄道は,主として旅客輸送を実現し,拡大傾向にあった美濃電気軌道に吸収合併され,広域な旅客輸送網が形成された.しかし,各軽便鉄道会社の本来の意図は,その運営実態の観察と,「岐阜市の咽」とよばれた長良橋および忠節橋の架け替えの過程から把握された.すなわち,軽便鉄道会社の重役も務めた岐阜県会議員は,旅客輸送に加えて地方末端部から岐阜市へと繋がる物流動線の形成を構想していたが,軽便鉄道事業を維持するために,旅客輸送中心の事業へとシフトするプロセスを明らかにした.
  • 岡田 幸子, 小林 一郎, 増山 晃太, 田中 尚人
    2016 年 72 巻 1 号 p. 76-85
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/08/20
    ジャーナル フリー
     「軌道用敷石」とは,近代の都市交通の主役を担ってきた路面電車に欠かせない「板石舗装」〔1957(昭和32)年には全国の軌道敷舗装の78.84%を占めていた〕の表層に用いられる舗装材である.板石舗装用材として最も普及した軌道用敷石は,路面電車を支えてきた重要な石材だった.本研究ではこれまであまり研究されてこなかった軌道用敷石の体系化の基礎資料として,軌道用敷石の規格と産地を調査し,整理することを目的とした.その結果,軌道用敷石は舗装材の要求性能を満たす仕様(材質,形状,寸法,許容差,仕上げ)が明確な規格品であり,国内の主要6ヶ所の産地(茨城県稲田,群馬県沢入,山梨県塩山,岐阜県恵那,広島県倉橋島,香川県小豆島)から明治から昭和にかけて全国に供給された花崗岩であることが明らかになった.
  • 鬼塚 克忠
    2016 年 72 巻 1 号 p. 86-96
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/08/20
    ジャーナル フリー
     版築技術は黄河中流域(黄土地帯)でB.C. 3千年頃誕生した.黄土の盛土構築のためには版築による高密な締固めが必要であった.長江流域では粘着性土であり,版築の採用は遅れた.乾燥・半乾燥気候の黄河流域の墳墓は地下埋葬であるが,湿潤気候の長江下流域の江南では,B.C. 1.1千年頃から地上埋葬の土墩墓が構築される.黄河流域の墓制は朝鮮半島の楽浪墳墓群に,江南の地上埋葬は同様な風土の北部九州の吉野ヶ里墳丘墓(B.C. 1.5百年頃,堆築・層築)に伝播,出現する.中国東北部では,B.C. 4千年頃から積石塚がスタートし,高句麗の積石塚へと発展する.吉野ヶ里以降の我が国の墳墓,ならびに朝鮮半島南西部の墳墓は中国江南と同じく地上埋葬である.盛土構築方法は地域の風土に関連し,墳墓は水対策の観点から地下および地上埋葬に分かれる.
  • 寺村 淳
    2016 年 72 巻 1 号 p. 97-106
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/09/20
    ジャーナル フリー
     日本の石造アーチ橋の多くは九州に分布し,江戸後期から昭和初期の近代化の流れの中で,ごく普遍的に社会基盤のツールとして造られてきた.一方で著名な石橋以外の多くの場合,架設年や石工などがよくわからず,設計図などもほとんど残っていない.加え,資料の不足などにより,十分に評価されていない事例も多く見受けられ,それらの再調査・再評価の必要性が感じられる.この様な中で,明正井路一号幹線第二拱石橋について考察した結果,全国的にも事例の少ない鉄管逆サイフォンと石造アーチ橋が組み合わさった水路橋で,現役で使用されている同形状の水路橋としては最も古いことが判った.また,設計者の矢島義一は工手学校や耕地整理講習で当時の最新技術を学んだ若き技術者であった.
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