アメリカの土木技術者ジャスチンは,1920年代に半年ほど嘉南大圳事業の中心施設である烏山頭ダムの調査を行った,彼は事業関係者から「斯界の権威」とされており,これまで彼に言及した文献でもそのように言われてきた.実際には訪台期には権威とまでは言えなかったが,烏山頭ダムについては鋭い意見を述べている.ジャスチンとの関わりは,八田與一とその周辺に大きな印象を残した.台湾総督府側は招聘の際に十分な準備や調整を行なったとは言えず,それが台湾でのジャスチンの活動上で制約となった.ジャスチンは着実に業績を重ね,晩年は水工学の権威と言える存在になった.