2023 年 79 巻 7 号 論文ID: 22-00070
本研究では『土佐日記』を対象として,楫取が航海のために捉える風景を用の風景とし,紀貫之が和歌を詠むために捉える風景を美の風景として,それぞれの風景に対する認識を探り,用の風景と美の風景の関係性を探った.その結果,用と美の風景は,ほぼ同時に同空間の環境下であっても確認できるが,有する知識によって異なる風景として認識される.この時,一方が他方を認識することは難しい関係にあり,美的な立場から用の風景を捉える場合,多くの用の風景が見過されることが指摘できる.また,美の風景として享受されても,その本来の姿や意味とは異なって表現されることがあるという事実は,美的な立場から用の風景を辿ることの難しさを示すと言える.