抄録
1924 年から 1930 年に日活で尾上松之助作品など 22 本を手がけた脚本家・林義子を再評価する。当時「日本最初の女流ライター」と称されたが、日本映画史の通説では看過され、先行研究もみられない。林のフィルムやシナリオは散逸しているため、現存する雑誌、新聞広告、映画館プログラムなどの資料を通して、作品内容を明らかにした。全て時代劇ながら当時の潮流に呼応した幅広い題材を扱い、松之助の 座付作家に限定されない活動が判った。全作とも男性主人公による映画で、戦後に女性脚本家が女性映画に携わったのとは対照的である。また、背景にある日活京都の脚本部の状況を見直し、後期松之助の変革を担った林が、読者投稿家出身ゆえに観客層との双方向性を促す媒介となり得た点を考察した。さらに、日本映画史上、無声映画の勃興期となった大正末期に、確立され始めた脚本家という存在が可視化された例として林義子を位置づけて捉えることを試みた。