2021 年 5 巻 s1 号 p. s106-s109
旅をしていた五代目市川海老蔵(=七代目市川團十郎)は目を患い、その治療のため、駿河国富士郡神谷村(現静岡県富士市)の眼科医伊達本益の元を訪れた。これを契機に海老蔵と伊達家の交流は、やがて家族ぐるみへと発展していった。伊達家には、市川團十郎家から送られた資料や海老蔵、八代目が伊達家を訪れた時に使用していた資料が残されていることが、これまでの調査で判明している。これらの資料の内、市川家から伊達家に送られた70通余りの書状のデジタルアーカイブの現状についてはすでに紹介している。そこで本報告では、市川團十郎家から贈られた錦絵資料について注目し、それらがどのくらい残されていて、どのような状態で所蔵されているのかを述べ、調査状況及びデジタルアーカイブの進捗状況について報告する。