抄録
本稿の目的は、「被災者」概念・「被災者意識」の曖昧さを切り口として、東日本大震災からの「復興」を再検討していくことにある。具体的には、東日本大震災による代表的な被災自治体である宮城県本吉郡南三陸町において、住家に津波被害を受けていない人々に着目し、彼らが、同町において復興事業が展開される過程をどのように経験してきたのか、あるいは、彼らにとって、「復興」はいったいどのようなものであったのか、といった点について明らかにしていく。その結果、入谷地区の住民が、被災/非被災の境界線の上(「被災者だけど被災者じゃない」)に自らを位置づけており、町の「復興」における主体としては位置づけてなかったこと、そうした状況のなかで、一部の住民においては、町の「復興」が、他者との共生として経験されていたこと、加えて、町の「復興」を、地域づくりを推進する契機として、経験した住民が存在していたことを明らかにした。