本論文の目的は、災害復興について考えるときに私たちが依拠する基軸パラダイムについて再考することである。具体的には、現時点で、標準的と考えられている2つのパラダイムについて、そこからのパラダイムシフトの可能性について考察した。第1は、「世直しvs.立て直し」から「やり直し」へのパラダイムシフト、第2は、Build Back Better(BBB;拡張・発展的復興)からSave Sound Shrink(SSS;縮小・楽着的復興)へのパラダイムシフト、である。前者では、被災前のなんでもない日常、おだやかな暮らしを被災者が回顧・想起するための作業、つまり、疑似的な「やり直し」の重要性を指摘した。後者では、個人、集落、社会などが小さくなること、また消えていくことを、無条件に望ましくなく回避すべきこととしてとらえるのではなく、そこに幸福や満足を見いだし、それを、「死」ではなく「生」のプロセスとして(も)見るべきとの提起を行なった。
本稿は、災害復興という語について、われわれはそこに何を読み取るのか、なぜ災害復興という語を用いて説明しようとするのか、という問いを既往研究のレビューからあらためて整理しつつ、ショック=ドクトリンやBuild Back Betterといった近年の概念への批判の妥当性を明らかにしたものである。検討の結果、近年の研究における災害復興とは、自らが災害復興に何を求めていくのかを議論し、調整し、妥協し、責任を負う社会創造の過程であり、その過程において社会像を形成する過程を経験しえたかが問題とされていること、同時に、全体最適という意味での「公共の福祉」の理念が、このような社会創造の過程をこれまで付随的なものにおしとどめてきた状況があらためて明らかとされた。そのなかで、ショック=ドクトリンやBuild Back Betterは単純な開発批判としてではなく、中央集権による一律的な整備が展開する構造への批判であるという批判の妥当性も示された。