抄録
2004年10月23日に発生した中越地震の被災の中心は、過疎・高齢化進む豪雪の中山間部であり、震災のはるか以前から人口減少に歯止めがかからず、地域の存続すら危ぶまれていた。震災は人口流出を加速させ、山古志村では文字通り人口は半減した。しかし被災者、支援者、行政など多様な関係者による様々な努力によって地域における復興活動は活発化し、山古志でいえば交流人口は2桁増加し、移住者によって限界集落要件を外れる集落も生まれた。過疎の進む中山間地の慢性病と言われる依存性、保守性、閉鎖性を乗り越え、主体的に地域を起こそうとする人々が増え地域が活性化した背景、要因は何か。復興初期の問題意識、その後の復興過程における熟度評価の試みなどを紹介しつつ、中越地震被災地が模索し続けてきた「復興のモノサシ」について論じていく。