抄録
これまでの研究で筆者は,ル・コルビュジエの«ロンシャンの礼拝堂»を,彼が形成期に訪れたアテネのアクロポリスと関連付け,次のように位置づけた.それは,アクロポリスの普遍性に圧倒されつつ嗅ぎ取った‹死のイメージ›の克服過程,すなわち絵画制作を通じた‹女性イメージ›による‹死のイメージ›の統合の建築的反映である.本研究では,彼の日本唯一の建築作品である«国立西洋美術館»を取り上げ,次のように位置づけることができた.それは,彼が確立したプロトタイプに託した美術館の普遍的原理が現前する記憶の場であるだけでなく,美術館というコンテクストを超えて異種のイメージが外部から召喚・内化される想起の場でもあった.そこでは,受容された断片的なイメージ群が星座のように互いに関連付けられ,一つの建築へと収斂した.要約するなら,同美術館は,断片的イメージを受容し一つの星座を生成する母体,すなわちコーラとして機能した.