2020 年 35 巻 p. 24-31
【目的】低酸素と胎盤形成不全の関連は知られているが、低酸素において中心的な役割を担う赤血球の機能低下と胎盤形成不全との関連に関する知見は極めて少ない。本研究では、赤血球の膜上に存在する核酸トランスポーターであるEquilibrative nucleoside transporter 1(ENT1)をノックアウトしたモデルマウスを用いて、母獣赤血球の酸素運搬能が低下した際に認める表現型を検証し、その分子学的背景も検討した。
【方法】施設内研究倫理委員会承認の下、上記モデルマウスの赤血球酸素運搬能が低下していることを確認すると同時に、妊娠における表現型が胎児発育不全であることを確認し、メタボロミクス解析を用いて、母獣からの胎盤へのアミノ酸取り込みが低下しているを同定した。胎盤局所でのHypoxia inducible factor 1-α(HIF-1α)の発現を免疫染色法で検討し、realtime RT-PCR及びウエスタンブロット法により、胎盤でのアミノ酸トランスポーターの発現を検討した。最後に絨毛細胞セルライン、HTR-8/SVneoをHIF-1α安定剤であるDimethyloxaloylglycine(DMOG)と共培養することで、HIF-1αとアミノ酸トランスポーター発現の関連についても検証した。
【成績】赤血球酸素運搬能が低下した遺伝子改変マウスでは、胎盤局所でのHIF-1αの発現の上昇を認め、胎盤でのLarge neutral amino acid transporter1(LAT1)の発現が低下していた。また、HTR-8/SVneo細胞培養においてHIF-1α発現下ではLAT1のmRNA低下を認めた。
【結論】母獣の赤血球酸素運搬能が低下することで胎盤局所でのHIF-1α発現が亢進し、胎盤でのLAT1の発現が低下することで母体循環中の血清からのアミノ酸の取り込みが低下し、胎児発育不全の表現型を呈し得ることが示唆された。
妊娠初期の胎盤形成障害は、胎盤での低酸素を惹起し、胎盤機能不全に伴う産科疾患である胎児発育不全(Fetal growth restriction: FGR)や妊娠高血圧腎症(Preeclampsia: PE)の病態に深く関与していることが知られている。赤血球は酸素運搬に関わる最も重要な「臓器」ともいえるが、赤血球の機能とFGRやPEとの関連を示した報告は極めて少ない。
赤血球は体内で唯一酸素を運搬する細胞であると同時に、末梢組織での低酸素を感知する能力も備えている。周辺環境に適応するために赤血球は自身の酸素運搬能を修飾する機能を有しており、酸素とヘモグロビンの親和性を調整することでその酸素運搬能を調整している。その調整機構で最も中心的な役割を果たしているのが2, 3-bisphosphogylcerate(2, 3-BPG)であり、赤血球内で解糖系により生合成される。赤血球の酸素運搬能は、酸素がヘモグロビンの50%結合飽和するときの酸素分圧であるp50で評価され、p50は2, 3-BPGと正の相関を示し、p50及び2, 3-BPGは酸素運搬能と正の相関を示す。1990年に、胎児発育不全症例の母体の2, 3-BPG及びp50は正常の胎児発育の母体と比較して有意に低値を示していたがその分子機序を同定するには至らず、この赤血球の酸素運搬能の低下が如何にして FGRをきたすかは不明であった[1]。
高地などの低酸素ストレスに赤血球が対応する機序は、赤血球の膜上に存在する核酸トランスポーターであるENT1が、低酸素ストレスによって増加した細胞外のアデノシンを取り込み、酸素運搬能を上昇させるという調節機構が行われることで低酸素に応答する[2]。赤血球からENT1を除去すると低酸素応答に障害をきたすと考えられるため、本研究では、ENT1を母獣赤血球からノックアウトし、その妊娠における表現型を検証し、その分子機序の解明も行なった。
テキサス大学の倫理委員会の承認を経た後、lox-Cre systemを用いて、母獣の赤血球のENT1のみを除去したコンディショナルノックアウトモデルマウス、Ent1flox/flox EpoR-Cre+(E1FE)を作成し、その妊娠における表現型を検証した。コントロール郡はEpoR-Cre+(EPO)を用いて、共にwild typeの雄と交配させることで、両群の唯一の違いはE1FE群での母獣赤血球のENT1が欠損しているという交配モデル(Fig. 1)を作成した。腟プラグを確認した日を妊娠0.5日とし、妊娠13.5、15.5、17.5日でtail cuff法での血圧測定を実施し、妊娠18.5日でELISAによる蛋白尿測定、採血、解剖、胎盤重量、胎仔の体重の測定を行なった。

p50及び2, 3-BPGの測定、メタボロミクス解析などは以前の報告と同様の方法で行なった[3]。
統計学的解析は、Prism 5 softwareを用いてEPO群とE1FE群を比較してStudent’s t testを用いた。P<0.05を統計学的有意差ありと判断した。
まず、E1FE及びEPOの妊娠18.5日での赤血球のp50及び2, 3-BPGを測定したところ、EPO群と比較してE1FE群でp50及び2, 3-BPG共に有意に低下しており、これはE1FEの母獣の赤血球酸素運搬能が低下していることを示している(Fig. 2)。それに伴い、胎盤でのHypoxia inducible factor 1-α(HIF-1α)の発現を蛍光免疫染色で検証したところ、EPO群と比較してE1FE群のspongiotrophoblastでのHIF-1αの発現亢進を認め、赤血球の酸素運搬能の低下が胎盤局所での低酸素を惹起していることを示していた。また、E1FEの妊娠における胎盤形成不全の表現型を呈するかを検証するためにEPO群とE1FE群の母獣の蛋白尿、血圧、胎仔の重量を測定したところ、E1FE群で有意に胎仔の体重低下を認めていたものの、蛋白尿や高血圧は認めず、PEではなくFGRの表現型を呈していることが示された(Fig. 3)。


FGRをきたす背景に存在する代謝経路を同定するために、EPO 群及びE1FE群の母獣の血清及び胎盤でのメタボロミクス解析を行なった。すると、ほぼ全てのアミノ酸に関してEPO群と比較して、E1FE群の胎盤で低値、血清で高値を示しており、FGRの表現型をきたす背景に母獣から胎盤へのアミノ酸の取り込み阻害の存在が示唆された(Fig. 4)。

母獣からのアミノ酸取り込みにおいて中心的な役割を担うのが胎盤でのアミノ酸トランスポーターであるため、EPO群及びE1FE群での胎盤での主要なアミノ酸トランスポーターのmRNAをrealtime RT-PCRを用いて比較したところ、EPO群と比較してE1FE群の胎盤においてLAT1のmRNAが有意に低下しており、ウエスタンブロットでも同様の結果が確認され、EPO群と比較してE1FE群の胎盤でのLAT1タンパクの発現低下を認めた(Fig. 5)。
④HTR-8/SVneo細胞でHIF-1αを安定化させる ことでLAT1のmRNAが抑制される胎盤局所での低酸素と胎盤でのLAT1の発現低下との関連を検証するために、HIF-1αの安定剤であるDimethyloxaloylglycine(DMOG)存在下で絨毛細胞セルライン、HTR-8/SVneo細胞を培養し、LAT1のmRNAをrealtime PCRを用いて検証した。DMOG存在下では非存在下と比較してLAT1のmRNAは有意に低下していた(Fig. 6)。よって、胎盤でのLAT1 発現低下の背景に胎盤局所でのHIF-1αの発現上昇があることが示された。
本研究では以下を明らかとした
①母体赤血球の酸素運搬能の低下が胎盤局所でのHIF-1α発現上昇を惹起する。
②胎盤でのHIF-1αの発現亢進は胎盤でのLAT1の発現低下をきたし、母体から胎盤へのアミノ酸取り込みを阻害することでFGRの表現型をきたす。
1990年にFGR症例の母体から採取した赤血球のp50及び2, 3-BPGが低下、すなわち酸素運搬能が低下していることが示された[1]が、赤血球の酸素運搬低下がFGRをきたす分子機序は未解明であった。本研究により、母体の赤血球酸素運搬能の低下が胎盤局所での低酸素を惹起し、HIF-1αの発現を亢進させ、胎盤のアミノ酸トランスポーターの発現を低下させるという機序をマウスモデルで示すことができた。ヒトとマウスでは胎盤の構造が違うが、母体赤血球の酸素運搬能が低下している症例では同様の機序によりFGRをきたしている可能性があり、これまで注目されていなかった側面からFGRの病態生理へのアプローチが可能となった。これによって、新たな治療戦略の可能性も拓け、母体赤血球をターゲットとしたFGRの治療、ひいては胎盤形成不全という意味では類似の疾患であるPEへの応用も可能であると考えられる。今後は、このような視点からFGR及びPEの新たな治療戦略を確立することを目標とする。
本研究を遂行するにあたり、御指導御鞭撻を賜りましたテキサス大学のYang Xia教授、Rodney Kellems教授、Baha Sibai教授、コロラド大学のAngelo D’Alessandro助教、東京大学医学部産科婦人科学教室の入山高行講師に深く感謝の意を表します。また、テキサス大学のJacob Couturier助教にはフローサイトメトリーの測定、Anren Song助教にはウエスタンブロットでの御支援、御指導をいただきました。コロラド大学のBenjamin Brown助教にはメタボロミクス解析での御支援、御指導をいただきました。この場を借りて深い謝意を表します。