日本レーザー医学会誌
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総説
テラヘルツ波が拓く医療・創薬・バイオセンシング
斗内 政吉
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2019 年 39 巻 4 号 p. 325-328

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Abstract

テラヘルツ電磁波は,300 GHzから30 THz程度の周波数帯の未開拓電磁波領域にある.近年,多くの応用が期待され,注目を集めている.中でも,医療・製薬・バイオ分野では大きなマーケットの存在から重要視され始めてきた.本稿では,その展望といくつかの最近の研究トピックスを紹介する.

1.  はじめに

テラヘルツ波は周波数300 GHzから30 THzの電磁波(波長にすると,1 mmから0.01 mmに相当する)で,光と電波の中間に位置し,古くから未開拓領域として基礎科学の対象となってきた.テラヘルツ電磁波帯の研究は,100年に及ぶ歴史があるものの,電子デバイスは低周波側から,光デバイスは高周波側から,テラヘルツ帯に向かった研究開発が進められてきたが,それらの動作限界に阻まれ,電波天文やフーリエ分光などによる物質科学など特殊な学術的研究に限られていた.1985年Astonらが,極短光パルスを用いて,パルス電磁波放射と時間領域検出を報告し,そのパルスがテラヘルツ帯の周波数成分を含むことから,新しいテラヘルツ波工学の幕開けとなった.90年代に入ると,様々なテラヘルツ光源やイメージング手法も開発され,徐々に広がりを見せてきた.2004年にテラヘルツテクノロジー動向調査が実施され,筆者は委員長として報告書を取りまとめた.このとき,テラヘルツ分野を,テラヘルツセンシング/テラヘルツエレクトロニクス/テラヘルツフォトニクス分野を融合した大きな分野として再定義し,世界にテラヘルツ研究の方向性を示した1-4).これを受けて,欧米・中国・韓国では数百億円規模の投資が行われているが,我が国では十分な予算化が実現せず,後塵を拝してしまった.

2.  テラヘルツ波新産業とバイオ・医療応用

Fig.1にテラヘルツ波技術が拓く新産業分野をまとめている5).大きく分けて1)情報通信,2)バイオ・医療,3)非破壊検査・安全安心,4)基礎科学・学術の四つの分野での産業応用が期待されている.当初から基礎科学の分野で広がりを見せ,現在では高輝度テラヘルツ光による非線形応用なども研究されている.非破壊検査と安全・安心分野は,最も利用が広がる分野であるが,まだ,高価格であり,マーケットとしては,比較的小さい.大きなマーケットが確約されているのが,短距離無線通信など情報通信応用である.北京オリンピックで,NTTが125 GHzの非圧縮無線を実現したことで,世界的に大きな研究開発投資が行われている.しかし,残念なことに,我が国では研究者が簡単に利用できる,半導体回路試作ファンドリーやナノテクノロジー共同利用施設が整備されなかったことで,競争力が無く厳しい状況である.(これが我が国のエレクトロニクス没落の主原因の一つである.)一方,同様に大きなマーケットが期待される分野に,バイオ・医療分野がある.その利用シーンをFig.2にまとめている5).バイオセンシングへの応用が期待される理由は,周波数帯・エネルギー・時間領域が,大きな質量の分子の運動,生きたタンパク質と水との相互作用など水和反応,DNAなどにおける水素結合エネルギーなどに対応するとともに,水などイオン性溶液に非常に敏感であることなどによる.それにより,バイオチップや創薬への応用,薬品の結晶多形評価,成分分析による薬の混合不良検査,タブレット・コーティング非破壊検査,高輝度テラヘルツ光を用いたバイオ分子操作や選択培養促進,発症前診断などへの応用が期待される.この分野は研究者数はまだ少なく,今からでもわが国が参入できる分野である.

Fig.1 

Application Prospect of Terahertz Technology (Modified from Ref. 5).

Fig.2 

Application scenes in the fields of medical, pharmaceutical and bio sensing (Modified from Ref. 5).

3.  テラヘルツバイオセンシングのための基盤技術

バイオセンシング応用に向けて様々な課題があるが,中でも最も重要なものは応用事例の抽出である.その中心技術として最も広く利用されているのはテラヘルツ時間領域分光法(THz-TDS: Time Domain Spectroscopy)*である.詳細については専門書に譲るが,基本原理としては,フェムト秒光パルスにより,パルス電磁波を発生し,光パルスが入射したときにだけ動作する高速検出器で,光パルスに時間遅延を与えることで時間領域計測ができる.THz-TDSは,物質のパルス電磁波の透過・反射特性などから,その複素屈折率*を広帯域(普及型で0.1 THzから5 THz程度)で求め,その屈折率から,誘電率/導電率などを求めることができる.また,時間領域で計測するため,様々な物質界面での反射/透過特性を利用して,3次元THz-CTとして利用することもでき,皮膚癌の深さ方向2次元分布や薬錠剤のコーティング分布分析など,様々な応用が研究されている.

普及型THz-TDSが市販されてから既に十年以上が立つが,期待される応用に比べてその普及は広がっていない.一つには高価格が原因であるが,一方で,まだ弱点も多い.例えば,テラヘルツ波のビーム径が大きく,微量検査・高分解能イメージングには向いていない.イメージング時間とコストがトレードオフの関係にあり,イメージング取得時間は実用的で無い.それに対して我々は,1.5 μm帯フェムト秒レーザーとそのガルバノミラー制御により小型・ロバスト・高速化,近接場2次元テラヘルツ光源による高分解能化,テラヘルツチップによる高感度化に取り組んでいる6-8).その例を他の報告と合わせて,以下に紹介する.

4.  テラヘルツバイオセンシング

THz—TDSは,古くからDNA,医薬品などへの適用が試みられてきた.一例として,ソウル市大のSon教授らは,これまで感度が不十分でバックグランドに埋もれていたが,データフィッティングを正確にすることにより,様々ながん細胞が1.65 THz近傍に特徴的な吸収を持つことを確認した.癌化したDNAは,メチル基の含有量が増大することが知られており,その吸収がメチル化による共振現象を観測していることを初めて確認し,今後癌診断への適用が期待されている(Fig.39)

Fig.3 

THz spectroscopy of various cancer DNAs. THz resonance peaks at around 1.65 THz correspond to the resonance between cancer DNA and CH3 molecules. The baselines for the data have been extracted. Above 2 THz region, the sensitivity of TDS is too poor to evaluate (See Ref. 9).

我々は,これら従来THz—TDSに比べて,その弱点を克服すべくテラヘルツバイオチップの開発に取り組んでいる.非線形光学結晶に1.5 μm帯フェムト秒ファイバーレーザー光を集中し,局所的な光テラヘルツ波変換によりテラヘルツ光を発生させることで,テラヘルツ波点光源を実現し,直上に配したサンプルに対して,電磁波が広がる前に相互作用を起こさせることで,高密度のテラヘルツビームを利用するもので,非線形結晶にGaAsを用いて,溶液セルを直接加工したテラヘルツチップを作製し,メタマテリアルと組み合わせることで,2フェムトモル以下のイオン濃度の検出に成功しており,これまで感度を遥かに改善する結果を得ている.詳細は,この特集号で紹介されている.

5.  テラヘルツバイオイメージングに向けて

THz—TDSを用いたイメージングは,古くから皮膚がんなどへの適用が検討されている.Sonらは,酸化鉄ナノ粒子を用いてがん細胞を修飾することで外部から内部に存在する癌細胞のイメージングに成功した.マウスを用いて計測した例をFig.4(a)に示す10).ナノ粒子は,人体での適用が認められているFERIDEXを用いており,その実用化研究が期待される.

Fig.4 

(a) Cancer imaging10). (b) THz near field imaging of single human hair11).

我々は近接場高速走査イメージングシステムをTHz—TDSイメージングシステムの欠点を克服するものとして開発している.Fig.4(b)に一本の髪の毛のテラヘルツイメージング像を示す11).分解能約25 μmでイメージングできていることがわかる.また,その局所的なテラヘルツ分光も可能であり,水分量の変化も計測可能である.

6.  おわりに

産業応用が期待されるテラヘルツ電磁波のバイオ・医療応用への展望を紹介した.大きなマーケットをもつ,本分野への参入は世界的にもこれからの分野であり,十分競争力がある.しかし,韓国では,テラヘルツバイオプロジェクトを推進しており,バイオ・医療研究者らとチームを組むことで大きな成果を挙げている.また,欧州・中国・韓国では,既に本分野に,我が国の数十倍の予算が配分されており,一刻の猶予もない状況にもある.我が国の研究開発に対するファンディングシステムが崩壊しているなか,産学連携による新産業育成と異分野間での研究協力が,我が国の危機を乗り越える登龍門であろう.今後,5–10年に,通信・バイオ・非破壊検査・セキュリティ分野での,本格的実用化が始まり,10–15年後には,普段の生活の中で意識されずに使われるようになっていることを願っている.

用語解説

*テラヘルツ時間領域分光法(THz-TDS)

フェムト秒レーザーの光パルスでテラヘルツ電磁パルスを発生させ,光源に同期した光を用いた電磁波検出法を用いて,物質を透過した後のテラヘルツ電磁波パルス波形を時間の関数として計測するもので,電磁波の振幅と時間遅れ(位相)の2つの情報を一度に得ることができる12)

*複素屈折率

屈折率は一般的に複素数で,光の進む速度と減衰の効果に対応している.屈折率は,誘電率・導電率に一義的に変換することができ,複素屈折率がわかると様々な物理量が特定できる.例えば,水の複素屈折率は,1 THzで,実部は約2.2,虚部は0.4程度で,周波数分散から緩和などの物性が議論できる.

利益相反の開示

利益相反なし.

参考文献
 
© 2019 特定非営利活動法人 日本レーザー医学会
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