東京市では、1910年代後半以降、近世来の都市-農村間の屎尿流通網が崩壊し、屎尿問題が深刻化した。そのため、東京市は屎尿処理を市営化することにより、問題の解決を図ったのである。しかし、従来の研究では、東京市の屎尿処理市営化は、既存の民間業者による農村還元処分法に依存したものであったことから、伝染病問題の温床となる後進的な政策として捉えられ、屎尿の需要地であった近郊農村との関係から市営化の意義が再検討されることはなかった。そこで本稿では、1910年代から30年代における東京市の屎尿処理政策に焦点を当て、東京市当局が近郊農村における屎尿に対する潜在的な需要をいかに掘り起こし、屎尿流通網の再形成を図ったのかを検討する。