2024 年 27 巻 1-2 号 p. 37-52
先行研究において,ブランド志向と成果の関係には,組織全体へのブランド・アイデンティティの共有によるブランド・アイデンティティの訴求という媒介要因があり,複雑な因果関係であることが示されている。しかしながら,この複雑な因果関係の詳細なメカニズムについては十分に検討されていない。そこで,本研究は,過程追跡法を採用し,マツダを対象にメーカーから販売店までのブランド・アイデンティティ共有プロセスとメーカーと販売店のブランド・アイデンティティの訴求とブランド価値向上の関係を検討した。その結果,様々な阻害要因を克服しながらブランド・アイデンティティが共有されることが明らかになった。また,販売店によるブランド・アイデンティティ訴求がメーカーによるブランド・アイデンティティ訴求と一致,もしくは上回るときにブランド価値が向上することを示した。
近年,ブランド管理研究において,組織文化や経営戦略の中心としてブランド・アイデンティティ(Brand Identity:BI)を強調する組織のマインドセット,すなわちブランド志向(Brand Orientation:BO)に注目が集まっている1)(Anees-ur-Rehman, Wong, & Hossain, 2016;Baumgarth, Merrilees, & Urde, 2013)。BOは「顧客との相互作用において,BIの創造,発展,保護を中心に据えた組織全体のアプローチ」と定義され,BIを制定し,組織に浸透させることが特徴である(Urde, 1999, pp. 117–118)。
Anees-ur-Rehman et al.(2016)によれば,BOを最初に示したのはUrde(1994)である。Urde(1994)は,Nicoretteを事例にブランド構築を企業戦略策定の出発点とする戦略志向をBOとして示した。その後,BO研究は,消費財企業から非営利組織まで様々な組織を対象に,BOの効果,BOの先行要因,他の戦略志向との関係などの研究が蓄積されている2)(Anees-ur-Rehman et al., 2016;岩下,2019)。
そうした中で,BOがブランド認知や継続購買などのブランド成果に直接影響することが示されている3)(Huang & Tsai, 2013;Wong & Merrilees, 2008)。一方で,BOとブランド成果の間接効果を確認した研究もある(Baumgarth, 2010;Baumgarth & Schmidt, 2010;Hirvonen & Laukkanen, 2014)。後者の研究では,BOが組織全体へのBI共有を通じ,各従業員による顧客へのBI訴求によってブランド成果に影響することが示されている。
このように,BOにおけるBI共有-BI訴求-ブランド成果の因果連鎖が示されているが,BI共有のプロセスやBI訴求とブランド成果の因果メカニズムについて詳細に検討されていない。BI共有には阻害要因があること(Anees-ur-Rehman et al., 2016)を考えれば,その克服方法を含めたBI共有プロセスを検討する必要がある。また,企業は多様なコンタクトポイントを通じてBIを訴求し,消費者はそれらをブランド価値として認識し,態度や行動に反映する(Chaudhuri & Holbrook, 2001)。ブランド価値を高めるために各コンタクトポイント間でのBI訴求の一貫性が指摘される(Berry, 2000;Wentzel, 2009;M’zungu, Merrilees, & Miller, 2010;Urde, 1994, 1999)。したがって,各コンタクトポイントのBI訴求それぞれとブランド成果の関係を検討する必要があるが,そうした研究はほとんどない。
そこで,本稿では,BI共有のプロセス,およびBI訴求とブランド成果の因果メカニズムに焦点を当てBOとブランド成果の関係を明らかにする。ここでは,ブランド成果として,ブランドに対する知覚的効用であるブランド価値を設定する4)。その理由は,ブランド価値がブランドへの態度や行動の先行要因になるからである(Chaudhuri & Holbrook, 2001)。
本稿は,上記の課題を自動車メーカーのマツダ株式会社(マツダ)を事例に過程追跡法(Process-Tracing Method:PT法)で分析する。単一事例による定性研究は,分析結果の信頼性や一般性への懐疑から批判も多い5)(田村,2006;Yin, 2018)。しかしながら,単一事例の定性研究は,対象の深層にある因果メカニズムの解明を促すこともあり,PT法はその有力な方法と考えられている(東・金・横山,2021;Beach & Pedersen, 2019;George & Bennett, 2005;田村,2006,2016;横山・東,2022)。PT法とは,単一事例の結果を生み出す因果過程の諸段階を歴史的なコンテクストにおいて識別する手順である(田村,2006)。BOにおけるBI共有-BI訴求-ブランド成果という複雑な因果連鎖を課題とする本研究にとって,PT法は適切な方法と言える。
マツダは,本研究課題の「先端事例」と考えられる。先端事例とは,理論発展が初期段階にあり,分析対象が今後の代表的事例になることが期待される事例である(田村,2006)。先行研究において,異なる立場から様々なBO概念が示されていることを考えると,BO研究は発展途上にあると考えられる6)。したがって,マツダの事例分析によって,今後,BO研究の理論的発展が促され,マツダが代表的事例になることが期待できる。
事例選択基準は,①BOが高く,②ブランド価値が向上していること,となるが,マツダはその両方を満たす。同社は,2013年からブランド価値向上を経営戦略の中心とするブランド価値経営を宣言し,メーカーから販売店までBIを共有し,多様なコンタクトポイントでBIを訴求している。したがって,マツダは,BOが高い企業と言える。また,マツダのブランド価値も向上していると言える。知覚的効用の観点からマツダのブランド価値を示す一般公開データは見当たらないが,ブランド価値が影響を与える支払意向額と継続購買率をその代理変数とした場合7),マツダのブランド価値は向上していると言える8)。2012年,主力製品ブランドであるCX-5の売れ筋は235万円のエントリーモデルであったが,2020年の売れ筋は330万円の高価格モデルへと変化した。また,平均客単価も50万円以上上昇している。継続購買率についても,ブランド価値経営以降,50%という高水準を維持している9)。
本稿は,次のように構成される。次節では,BO研究をレビューし,BOがBI共有-BI訴求-ブランド成果の因果連鎖であることを示す。そして,先行研究の課題として,BI共有プロセスの検討,およびBI訴求とブランド成果の因果メカニズムの検討を指摘する。これらの課題をマツダの事例で分析する。
先行研究において,BOによるブランド成果への直接効果を確認できた研究とそうでない研究がある。前者の代表として,Wong and Merrilees(2008)がある。彼らは,オーストラリアの製造・サービス・小売企業等のCEOやマーケティング・マネジャーなどの上級役員403名を対象に,BOがブランド成果に正の影響を与えることを示した。また,Huang and Tsai(2013)も,自社ブランドを国際展開している台湾企業のトップマネジャーからローワーマネジャーまでの106名を対象に,BOによるブランド成果への直接効果を確認している。
しかしながら,Hirvonen and Laukkanen(2014)は,フィンランドのサービス財企業(フィットネス企業やサイコセラピー企業)のオーナーやマネジャー255名を調査したが,BOによるブランド成果への直接効果を確認できなかった。ただし,BOがBI訴求を媒介してブランド成果に影響することを示した。ここでのBI訴求は,組織の価値観を反映し差別性のあるブランド,従業員のブランドに対する理解,マーケティング戦略での訴求など8項目からなる因子である10)。彼らは,従業員がBIを理解し,マーケティング戦略を通じて消費者にBIを訴求することによってBOがブランド成果に影響を与えることを指摘している。
Baumgarth and Schmidt(2010)は,BOにおけるBI共有-BI訴求-ブランド成果の正の関係を示している。彼らは,ドイツの産業財企業93企業のトップマネジャーおよび従業員481名を調査し,その結果,①BOが組織内ブランド・エクイティに正の影響を与えること,②組織内ブランド・エクイティが顧客ブランド・エクイティに正の影響を与えること,を明らかにした11)。組織内ブランド・エクイティとは,「顧客インターフェースでのブランディングを支援する従業員のBIの内面化の強さ」である(Baumgarth & Schmidt, 2010, p. 1250)。つまり,BOが,ブランドと顧客とのコンタクトポイントに関係する従業員へのBI共有を促し,それによる顧客へのBI訴求を通じてブランド成果に影響することを指摘している。
被説明変数がブランド成果ではないが,Baumgarth(2010)もBOにおけるBI共有-BI訴求-市場成果の関係を示している12)。彼は,BOを価値観・規範・人工物・行動からモデル化し,ドイツの産業財企業のトップマネジャー261名を調査した13)。その結果,①BO的価値観がBO的規範に正の影響を与えること,②BO的規範がBO的人工物とBO的行動に正の影響を与えること,③BO的人工物はBO的行動に正の影響を与えること,④BO的行動が市場成果に正の影響を与えること,などが示された。このことは,BOにおいて,従業員へのBI共有(価値観,規範,人工物)による顧客へのBI訴求(人工物,行動)が市場成果に繋がることを示している14)。
以上のことから,BOには,BI共有-BI訴求-ブランド成果という因果連鎖があると言える15)。BOとブランド成果の関係は,BIを共有した従業員が,自身の活動においてBIを顧客に訴求し,それがブランド成果に寄与するということである16)。
2.2 先行研究の課題:BI共有のプロセスとBI訴求とブランド成果の因果メカニズム先行研究の課題として,①BI共有プロセスの検討,②BI訴求とブランド成果の因果メカニズムの検討,を指摘できる。
①BI共有のプロセス:阻害要因の克服先行研究において,BI共有プロセスは所与となっている。しかし,BI共有には阻害要因があることが指摘されている(Anees-ur-Rehman et al., 2016)。したがって,阻害要因の克服方法も含めてBI共有のプロセスを明らかにする必要がある。
BI共有の阻害要因は,BO実現の障壁として示されている(表1)。部門のサイロ化や地域条件の相違による異なるマインドセットによって,BOに対する共感や理解が不足し,組織全体のBI共有が阻害される。(Evans, Bridson, & Rentschler, 2012;Gyrd-Jones, Helm, & Munk, 2013;Keller, Dato-on, & Shaw, 2010)。例えば,Gyrd-Jones et al.(2013)は,スカンジナビアのFMCG企業におけるブランド再活性化戦略を対象に,その失敗について調査した。彼らは,部門のサイロ化による各部門のマインドセットの相違がBI共有を阻み,BOを実現できなかったことを示した。また,Keller et al.(2010)によるチャリティ組織の調査 において,本部のBOは高いが,BIを共有していない地域支部があった。そうした地域支部は,直面している状況のために,BOの意義を十分に理解できていなかった。
著者 | 対象と目的 | BO実現の障壁 |
---|---|---|
Baxter, Kerr, & Rodney(2013) | オーストラリア・ウロンゴン市のブランド・イメージ刷新戦略 | 多様なステークホルダーによる異なるアイデンティティ |
Evans, Bridson, & Rentschler(2012) | 英・米・豪の博物館におけるBOの推進要因,阻害要因,顕在化 | 資源不足,学芸部門と商業部門の対立,組織構造の複雑性,変化への抵抗 |
Gyrd-Jones, Helm, & Munk(2013) | スカンジナビアのFMCG企業のブランド再活性化戦略 | 部門のサイロ化,日常業務との乖離 |
Keller, Dato-on, & Shaw(2010) | チャリティ組織(YMCA,米赤十字,救世軍)のBOとブランド管理 | 地域条件の相違,曖昧な責任の所在 |
Wong & Merrilees(2008) | オーストラリア企業(製造・サービス・小売 企業など)のBOと成果の関係 | コスト,時間,必要性の欠如,短期志向 |
出典:筆者作成。
したがって,部門のサイロ化や地域条件の相違などによる異なるマインドセットを念頭にBI共有プロセスを明らかにする必要がある。しかしながら,先行研究の多くは,こうした BI共有の阻害要因に注目しているわけではない。また,BI共有の阻害要因を示している研究の多くは,BOの失敗事例であり,その克服方法について明らかにしていない。
②BI訴求とブランド成果の因果メカニズム:コンタクトポイント間のBI訴求の関係先行研究では,BI訴求とブランド成果の関係は単純な因果関係となっているが,実際は複雑な因果関係があると考えられる。BI訴求のコンタクトポイントは複数あり,消費者は全コンタクトポイントから受ける刺激によって当該ブランドを評価する(Brakus, Schmitt, & Zarantonello, 2009)。そして,全コンタクトポイントにおけるBI訴求の一貫性がブランド成果に影響する(M’zungu et al., 2010;Urde, 1994, 1999)。したがって,各コンタクトポイントのBI訴求それぞれがどのようにブランド成果に影響しているのかを検証しなければならないが,先行研究ではBI訴求の一貫性の指摘に留まり,コンタクトポイント間の関係を十分に考慮していない。
ブランド価値やサービス・ブランディングの研究において,多様なコンタクトポイントによるBI訴求の影響が示されている。例えば,メーカーのブランド価値には,メーカーのみならず小売企業の活動も影響するため両者の協力関係の必要性が指摘されている17)(Brodie, Glynn, & Little, 2006;Keller & Swaminathan, 2020;Webster, 2000;Wong, Chang, & Yeh, 2019)。また,サービス・ブランディングにおいて,企業による広告コミュニケーションだけでなく,サービス提供者の行動が当該ブランドの評価に影響することが指摘されている(Berry, 2000;Wentzel, 2009)。Wentzel(2009)は,ブランドの既存評価とサービス提供者の行動の一貫性が,ブランド評価に影響を与えることを示している。これらのことは,コンタクトポイント間のBI訴求がブランド成果に対して相互に影響することを示している。しかしながら,コンタクトポイント間のBI訴求に着目しブランド成果との関係を分析している研究は限られる。
複数のコンタクトポイント間のBI訴求とブランド成果の関係を検討する際,顧客満足の期待不一致論やサービス知覚品質論が参考になる。これらに基づけば,ブランド成果は,事前期待と知覚品質の関係で決定する(Grönroos, 2007;Oliver, 1980;小野,2016)。製品やサービスなどの提供物や広告コミュニケーションなどが事前期待となり,購買時点における便益や使用経験が知覚品質となる18)。消費者は,事前期待を参照基準とし,知覚品質が事前期待と一致する(もしくは上回る)時,ブランド成果が向上する。反対に,知覚品質が事前期待を満たさなければ,ブランド成果は下がる。したがって,BI訴求とブランド成果の関係も,購買前と購買時点のコンタクトポイントを峻別し,それぞれのBI訴求によるブランド成果への影響を分析する必要がある。
先行研究では,サービス企業におけるサービス提供者によるBI訴求の影響(Hirvonen & Laukkanen, 2014)や産業財企業における営業担当者によるBI訴求の影響(Baumgarth & Schmidt, 2010)を検証している。しかし,これらの研究におけるBI訴求は,他のコンタクトポイントとの関係を考慮している訳ではない。さらに,購買前と購買時点のBI訴求の関係に着目し,BI訴求とブランド成果の関係を分析した研究はほとんどない。
上記のことは,BOとブランド成果の関係が,様々な要因が絡み合う複雑な因果関係であることを示している。したがって,①阻害要因に着目しBI共有プロセスを明らかにすること,②各コンタクトポイントのBI訴求の関係に着目しBI訴求とブランド成果の因果メカニズムを明らかにすること,は重要な研究課題と言える。
3.1 リサーチクエスチョン本稿では,上記の課題を,マツダを事例に取り上げPT法で分析する。前述の事例選択基準に加え,研究課題分析の観点からもマツダは適切な事例と言える。マツダのブランド価値経営は,メーカーから販売店までBIを共有し,全コンタクトポイントでのBI訴求を通じてブランド価値向上に努めている。したがって,そのBI共有プロセスにおいて,部門サイロ化や地理的条件の相違などのBI共有の阻害要因が想定される。また,マツダは,メーカーだけでなく販売店におけるBI訴求にも注力している。したがって,各コンタクトポイント間のBI訴求の関係を分析できる。
図1は,事例分析の枠組みと対象を示している。日本市場の場合,マツダのブランド価値に関係する組織は,マツダ本社の開発・生産部門,マーケティング(M)・販売部門,販売会社本社・販売店である。阻害要因は,開発・生産部門-M・販売部門間(阻害要因①),M・販売部門-販売会社本社間(阻害要因②),販売会社本社-販売店間(阻害要因③)において発生すると考えられる。阻害要因を克服する鍵となる組織は,販売会社を管理する本社国内営業本部と販売店を管理する販売会社本社である。マツダの販売会社には,マツダの資本が入りマツダ本社から社長が送られる関連販売子会社が15社,マツダとは資本的に独立している独立系販売会社が35社ある(2019年4月15日時点,インタビュー調査)。本稿では関連販売子会社である株式会社関東マツダ(関東マツダ)を対象に,国内営業本部-関東マツダ本社-関東マツダ販売店のBI共有プロセスに焦点を当てる。そして,リサーチクエスチョンとして「マツダは「どのように」メーカーから販売店までBIを共有したのか」を設定する(RQ1)。また,本稿では,購買前と購買時点を峻別し,それぞれのBI訴求の関係を考慮しながら,BI訴求によるブランド成果への影響を検証する。購買前の事前期待は,製品や広告コミュニケーションによるBI訴求が影響し,これらはメーカーが実施する。購買時点に形成される知覚品質は,商談やアフターサービスなどの販売店接客によるBI訴求が影響し,これらは販売店が実施する。したがって,「メーカーと販売店のBI訴求がマツダのブランド価値に「どのような」影響を与えたのか」もリサーチクエスチョンとして設定する(RQ2)。
注:黒点線は権限関係,黒実線はBI訴求,グレー実線は阻害要因を示している。
出典:筆者作成。
PT法には,結果説明型PT,理論構築型PT,理論検証型PT,理論修正・改善型PTがある(Beach & Pedersen, 2019)。本稿は,理論構築型PTを採用する。理論構築型PTは,原因と結果を結びつける因果メカニズムの解明を目的とする。理論構築型PTと結果説明型PTは,どちらも帰納法をとり,原因と結果の因果メカニズムに焦点を当てる。ただし,結果説明型PTが因果メカニズムの歴史的説明に焦点を当てることに対し,理論構築型PTは,因果メカニズムの歴史的説明をさらに理論的に検討することが特徴である19)(田村,2016)。本稿の目的は,マツダの事例から,その観察事実を理論的に検討することである。
PT法では,因果の無限後退を避けるために,重要な分岐点を示す必要がある(King, Keohane, & Verba, 1994;西川,2013)。マツダのブランド価値向上には,3つの分岐点がある。1つ目は,1996年5月,マツダがフォードの傘下に入ったことである。これは,マツダがブランド価値の重要性を認識する契機となった(ブランド価値経営の萌芽期)。2004年の中期経営計画「マツダモメンタム」によって,ブランド価値向上が経営戦略の中心となり,各部門で取り組みが始まった。これが2つ目の分岐点である(ブランド価値経営の準備期)。これらの取り組みが具現化されたのが,2012年2月発売のCX-5である。これが3つ目の分岐点である(ブランド価値経営の実行期)。そして,ブランド価値経営を宣言し牽引した代表取締役社長兼CEO・小飼雅道の退任(2018年6月)を本研究の終点とする20)。
本稿は,データの信頼性を高めるために複数のデータソースから分析する三角測量的手法を用いた(Yin, 2018)。データは,『Annual Report(AR)』,『Sustainable Report(SR)』,著書,雑誌・新聞記事などの2次資料とインタビュー調査および内部資料の1次資料である。インタビュー調査は,マツダ本社(開発・生産,国内営業,グローバルマーケティング&営業),欧州マツダと独マツダ販売店,関東マツダ本社と販売店,マツダの関係企業(広告代理店,他の販売会社)の担当者に半構造化インタビューを実施した。インタビューは,2018年12月22日から2022年12月26日まで延べ68名に対して実施した(表2)。インタビュー総時間は3730分である。インタビュー後,すぐにメモを書き起こし,インタビューイーと内容を確認した。また,インタビュー後もメールによる追加質問調査も行った。
インタビューイー数 | インタビューイーの職位 | インタビュー日 | |
---|---|---|---|
マツダ本社 | 20 | 顧問,役員,部長, 課長,マネジャー |
2018年:12/22 2019年:1/24,8/20,9/5,11/1,12/11 2021年:12/16 2022年:3/11,10/12 |
欧州マツダ・ 独マツダ |
7 | 役員,部長, 課長,マネジャー |
2019年:11/18,11/19,11/20,12/11 |
関東マツダ | 12 | 役員,部長, 課長,マネジャー |
2019年:4/15,5/10,12/26 2021年:9/2,10/22 2022年:9/9 |
販売店 (日・独) |
15 | 店長,マネジャー |
2019年:4/15,11/20,12/26 2021年:12/24 2022年:12/2,12/26 |
関係企業 | 14 | 役員,部長, 課長,マネジャー |
2018年:12/22 2019年:4/17,4/26,7/3,7/26,9/5 |
図2は,1996年5月から2018年6月におけるマツダのブランド価値向上活動とBI共有・BI訴求の出来事の因果関係を整理したものである。以下では,前述の分岐的に従い,これらの出来事関係について説明する。
注:白抜きセルはブランド価値向上に関係する企業全体の出来事である。点の網掛けセルは開発・生産関係の,濃色セルはM・販売関係の出来事である。なお,発売車種は新規導入車種のみを示している。
出典:筆者作成。
ブランド価値の重要性を認識した契機は,マツダがFordグループ傘下に入ったことである。日本の経済成長を背景に,1989年,マツダは2チャネル体制から5チャネル体制へと拡大した21)。しかし,バブル経済の終焉によって,この販売拡大戦略が仇となり,同社は経営危機に陥った。1996年5月,マツダはFordに対して株式の第三者割当増資を実施し,その傘下に入った。
マツダの経営再建課題のひとつに,ブランドの再構築があった22)。当時,Fordグループのブランドには,Ford,Lincoln,Mercuryを筆頭に,Jaguar,Land Rover,Aston Martinがあった23)。その中で,マツダのBIを定義し,グループの中でポジショニングを明確にする必要があった。
1997年,Fordグループにおける各ブランドの定義と戦略の明確化を目的としたWorldwide Brand戦略会議が開催された。その中で,ブランドDNAとプロダクトDNAからなるマツダのBIが示された。ブランドDNAはStylish,Insightful,Spirited,プロダクトDNAはDistinctive Design,Exceptional Functionality,Responsive Handling and Performanceと定義された。2000年の中期経営計画「ミレニアムプラン」において,マツダは,ブランド戦略を経営戦略の重要事項として位置づけた24)。さらに,2002年,マツダは,BIを具現化したブランド・メッセージ“Zoom-Zoom”をグローバルに採用した25)。そして,BIを具現化する製品を開発し,製品ブランドポートフォリオを再検討した26)。
4.2 ブランド価値経営の準備期2004年の中期経営計画「マツダモメンタム」は,ブランド価値経営の基礎となった。マツダは,「より強力なブランドを確立すること」,「世界市場で競争力を持つ企業になること」を自らの役割とし,「大規模な自動車メーカーになることではなく,ワクワクする所有体験を与える商品を提供し続ける企業として,全てのステークホルダーの方から喜ばれ,信頼されること」という長期ビジョンを示した。そして,ブランド構築を戦略の中心に据えた27)。
2005年,マツダは,全社的な長期戦略策定プロジェクトチームを正式に発足した28)。経営企画室が中心となり,人事,経営企画,研究開発,生産,工場,購買,IT,広報・マーケティング,各地域営業など分野別に12のクロスファンクショナルチーム(Cross Functional Team:CFT)を結成した。CFTの意図は,ボトムアップによる社内合意形成である29)。CFTによって,長期戦略の中心であるブランド戦略について全社で取り組む風土が醸成された30)。
ブランド価値向上の取り組みは,開発・生産部門が先行した。マツダのブランド・エッセンス「走る歓び」を具現化するよう,低燃費・高出力な「SKYACTIVエンジン」の開発31)(2005年),コモンアーキテクチャー,一括企画,フレキシブル生産による効率的に多品種製品の開発・生産を実現する「モノづくり革新」(2007年),優れた内外装デザインの「魂動デザイン」(2010年),である。
開発・生産部門に続き,M・販売部門でもブランド価値向上の取り組みを開始した。2007年,BIに基づいた販売店の接客プログラム「ブランド@リテール」が始まった。“Zoom-Zoom”を体感できる店舗を目指し,販売店がリニューアルされた32)。
本格的にM・販売部門がブランド価値の向上に取り組むのは,2009年の「つながり革新」以降である33)。つながり革新とは,ブランド価値を中心に正価販売の実現と継続購買の向上を目的にしたM・販売改革である。つながり革新において,マツダはブランドの愛着度に着目し,正価販売と継続購買を実現するよう販売業務を再設計した。販売店における接客サービスのみならず,マツダ車の保有体験までを含めブランド愛着の向上を図った。つながり革新では,販売における①現場改革,②店舗改革,③人材育成,に焦点を当てた34)。
販売店従業員がマツダのBIを理解していなければ,販売店サービスにおいてBIを訴求することはできない。ブランド価値は,販売店従業員の接客によっても左右される35)。本社国内営業本部から販売会社本社,そして販売店従業員までBIを浸透させる必要があった。
マツダのBIを販売店業務まで落とし込み,現場改革と人材育成を目指したプログラムが2010年の「マツダ営業方式」である36)。マツダ営業方式は,生産部門(品質・環境担当)から常務執行役員・国内営業本部長に就任した稲本信秀が中心となって策定した。稲本は,正価販売が実現できないことに疑問を感じていた。開発・生産では,コスト削減に注力している中,販売奨励金による大幅な値引き販売に不満を感じていた37)。
マツダ営業方式は,ブランド価値向上を目的に,消費者から選ばれ続けるという視点で販売活動を変革する取り組みである。その特徴は,集団的営業,顧客視点,人材育成・自己研鑽である。集団的営業とは,それまでの個人営業ではなく,営業・アフターサービス・事務の一体営業である。つまり,販売店における全コンタクトポイントで良質なサービスを提供できるようにした部門横断営業である。顧客視点とは,車を販売するだけでなく,マツダのBIを訴求しながらマツダ車を所有するライフスタイルを提案するものである。集団的営業と顧客視点を理解し実行することは簡単でない。したがって,販売会社や各販売店が,自ら様々な研修を実施し,マツダ営業方式を追求することが必要になる。これが人材育成・自己研鑽である38)。
4.3 ブランド価値経営の実行期2012年2月発売のCX-5は,マツダのブランド価値経営を象徴する製品ブランドである。SKYACTIVエンジンを搭載したCX-5は,優れた走行性能と洗練されたデザインで大きな評判となった。マツダのBIを反映した広告コミュニケーション政策も関心を集め,販売店には多くの消費者が来店した。
2013年,小飼雅道代表取締役社長兼CEOは,ブランド価値向上を経営戦略の中心とするブランド価値経営を宣言した。マツダは,商品やサービスを通じて「走る歓び」を提供し,ブランド価値の向上を図った。それが,正価販売の実現と販売台数の成長につながり,安定的な収益構造によって,継続的な将来投資につなげるというのがブランド価値経営の要諦である。この取り組みは,グローバルに導入された39)。
ブランド価値経営のために,マツダは,次のような戦略転換を図った。第1に,マスをターゲットにするのではなく,マツダのブランド価値を受容できる消費者を特定し,彼らに重点的にアプローチした40)。第2に,個別製品ブランドよりもマツダ・ブランドの訴求を重視するようにした41)。第3に,製品機能の訴求から,開発背景にあるストーリーやその思いの訴求へと転換した42)。
CX-5の発売を契機に,マツダのイメージは,「性能は平均,大幅な値引き」から「デザインが良く,機能が充実し,値引きは少ない」へと変化した。また,ミニバンユーザーやファミリーユーザーが減少し,輸入車オーナーや高所得者の消費者が増えた43)。CX-5を中心に新型アクセラやアテンザも販売を牽引し,販売台数が2012年の20万6000台から2014年には24万4000台へと増大した。CX-5は,2012年に日本カーオブザイヤーを受賞し,2012年から2年連続でSUV国内年間販売台数1位を獲得した44)。その後も,マツダは,小型SUVのCX-3(2015年発売),大型SUVのCX-8(2017年発売)など,SUVを中心に魅力ある新型車を導入した。
マツダに対する評価やイメージが上がる一方で,不満を述べる消費者もいた。それは,マツダに対する期待と接客品質が異なっていたからである。上質なイメージへと変化したマツダに対して期待をもって来店したが,店舗雰囲気や接客がその期待と必ずしも一致しない場合があった。マツダらしさを訴求する接客も徹底できていなかった45)。
販売店でのBI訴求強化のために,改めて販売部門全体でBIを共有することが必要になった。2013年,国内営業本部は,販売会社代表者を広島に集めた会議「マツダ未来」を開催した。その目的は,販売店までブランド価値経営を徹底することであった。国内営業本部長の稲本は,過去のチャネル政策の失敗を認め謝罪し,今後の販売戦略を説明した。また,マツダ営業方式の浸透のための研修や開発中の新モデルの披露などによって,開発・生産部門-国内営業本部-販売会社の交流を図り,販売店へのブランド価値経営の浸透を一層促した46)。
販売店におけるマツダらしい接客を実現するために,マツダは次のようなBI共有の取り組みを始めた(表3)。例えば,販売店従業員のBIへの共感・理解を促す研修「ブランド・アカデミー」(2012年),部門横断的な若手研修「One Mazda Challengeプロジェクト」(2013年),マツダ車を試乗しながら販売店従業員へのブランド理解を促す研修「人馬一体アカデミー」(2014年)である。また,新型車導入時の事前研修に,販売店の営業スタッフだけでなくサービススタッフも参加するようになった。そして,研修内容も機能や装備などの基本情報に加え,それらを実現するための開発・生産における工夫や努力,その裏側にあるマツダの思いを伝えるようにした47)。さらに,マツダのデザイン哲学に基づいた「新世代店舗」の導入48)(2014年)や消費者が安全かつ気持ちよく車を操縦できる体験型イベント「マツダ・ドライビング・アカデミー」の実施(2014年)など,販売店において消費者に直接BIを訴求することも強化した。
活動 | 開始年 | 内容 | |
---|---|---|---|
BI共有 | ブランド・アカデミー | 2012年 | 販売店従業員のマツダ・ブランドに対する共感・理解を促進する体験型研修。開発,生産,ブランドについて販売店従業員が学ぶ。販売店へのBIの浸透を図ると同時に,現場情報のフィードバックも図る。 |
One Mazda Challenge プロジェクト |
2013年 | 部門横断的に若手従業員約10名が週1回集まり,全従業員がマツダ・ブランドへの共感・愛着・誇りを高める取り組み。過去から未来に語り継ぐべきマツダの思想・哲学・価値観を体感することにより,従業員の共感・理解を深めることが目的である。 | |
人馬一体アカデミー | 2014年 | 走行領域の専門知識をもったインストラクターから指導を受け,マツダ車ならびに競合車について試乗しながら学ぶ研修。2016年3月よりグローバルに展開している。 | |
BI訴求 | 新世代舗 | 2014年 | マツダのデザイン哲学に基づいた新しい店舗デザイン。既存の接客スタイルからの脱却を目指し,制服着用,接客接遇スタイルの改善,ブランド研修など様々な取り組みを開始した。 |
マツダ・ドライビング・アカデミー | 2014年 | マツダのブランド・エッセンス「走る歓び」にもとづき,消費者を対象にした体験&トレーニング。 |
出典:『AR2016』,『SR2014』,『SR2015』,Interbrand Japan(2014),インタビュー調査。
ここでは,マツダの事例を考察し,BI共有プロセス,およびBI訴求とブランド価値向上のメカニズムに関する命題を示す。
5.1 マツダは「どのように」メーカーから販売店までBIを共有したのか(RQ1)開発・生産部門-M・販売部門間(阻害要因①)と国内営業本部-販売会社本社-販売店間(阻害要因②,③)において,BI共有の阻害要因が存在した。開発・生産部門-M・販売部門間の異なるマインドセットの例として,販売奨励金の削減が進まなかったことがある。ブランド価値の向上を図りながらも,国内営業本部は販売奨励金の削減を徹底できなかった49)。それは,国内営業本部が依然として市場シェアや販売台数の増大を目的としていたため,ブランド価値向上を目的とする方針転換の受容に時間を費やしたからである(部門サイロ化)。生産部門から国内営業本部に異動してきた稲本の違和感は正にこのことであり,これがマツダ営業方式策定の契機となった50)。
しかし,販売会社・販売店へのBI共有と比較すれば,開発・生産部門-M・販売部門間のBI共有における阻害要因の影響は小さかったと考えられる。その理由は,①小規模企業,②本社機能の集約,③CFTや部門横断人事異動による人的ネットワーク,である51)。マツダは,自動車企業としては小規模であり本社機能が広島に集約されている。加えて,CFTや部門横断人事異動によって,本社内のコミュニケーション密度が高く,公式・非公式な人間関係が構築されていた。したがって,開発・生産部門-M・販売部門間におけるBI共有の阻害要因の影響は,販売店へのBI共有よりも小さかったと考えられる。
一方,国内営業本部-販売会社本社-販売店間における阻害要因の影響は大きいと考えられる。販売会社本社や販売店は,過去のチャネル政策失敗によって国内営業本部への不信感があり,それがマツダ営業方式の浸透を阻んでいた。2013年に開催されたマツダ未来は,その不信感から生まれるマインドセットの相違を解消することに貢献した52)。また,販売店の出自によってもマツダ営業方式の浸透度が異なる。関東マツダは,2003年,首都圏の販売子会社5社を統合して設立された。統合以前の販売会社の方針が,統合後の販売方針にも影響し,それがマツダ営業方式の浸透度に影響を与えている53)。さらに,商圏特性(消費者の収入や競合ブランドなど)によってBI訴求の効果が異なり,これもマツダ営業方式の各販売店への浸透度に影響している54)。商圏特性の相違は地域条件の相違であるが,国内営業本部への不信感や販売店の出自は,歴史的先行条件の相違による異なるマインドセットと言える。
阻害要因克服のために,国内営業本部は様々な研修を準備した。その中でも開発部門と一緒に実施した体験型研修であるブランド・アカデミーは効果的であった55)。同研修に参加した販売店従業員は,「お客様にマツダの技術を熱く語れるようになった」,「ブランド価値,作り手の想いを商品説明に組み込むように意識し始めた」,「マツダ・ブランドに恥じないよう接客態度を改めた」,「ブランドへの価値観,マツダのものづくりへのこだわりに対する考えが変化した」などの感想を述べている56)。BIを理解・共感して初めて,販売店従業員が日常業務においてBI訴求を提供できるようになる57)。そして,これがマツダのブランド価値向上につながったと考えられる。
部門サイロ化や地理的条件の相違によるBI共有の困難性は先行研究においても強調されていたが,歴史的先行条件の相違によるBI共有の困難性はあまり注目されていなかった58)。また,阻害要因の克服方法として体験型研修の効果について示した点は本研究の成果と言える。
本研究から次のような命題を導出する。
P1-a BI共有の阻害要因には,部門のサイロ化,地域条件の相違,歴史的先行条件の相違がある。
P1-b BI共有を促進するために様々な研修が有効である。その中でも,とりわけ体験型研修の有効性が高い。
5.2 メーカーと販売店のBI訴求がマツダのブランド価値に「どのような」影響を与えたのか(RQ2)マツダが様々なコンタクトポイントでBIを訴求した理由は,製品の独自性・優位性だけでなく,販売店における接客サービスなどもブランド価値向上に寄与するからである59)。とりわけ,マツダは,販売店サービスにおけるBI訴求を強化した60)。その理由は,消費者の事前期待と販売店サービス品質の不一致の解消である61)。2012年にCX-5を発売した際,その期待の高さから今まで来店しなかった輸入車オーナーが,買い替えや増車のために来店した。その際,彼らは,マツダにプレミアム・ブランドとしての接客を期待したが,販売店サービスがその期待に十分に応えることができず,購入に至らなかったり,購入後に不満を述べたりする人がいた62)。
販売店サービスにおけるBI訴求の強化のために,マツダは,販売店長や営業責任者だけでなくサービススタッフを含む販売店全従業員にまでBI共有を試みた63)。なぜなら,販売店業務は多段階であり,複数の従業員が一人の消費者に対応するからである。販売店業務には来店受付・試乗・商談・納品・アフターサービスなどがある。購買時の接客は営業部門が担当するが,アフターサービス時の接客はサービス部門が担当する。さらに,毎回,同じ従業員が対応できるわけではない。販売店において,消費者に一貫したBIを訴求するためには,販売店全従業員にBIを共有する必要がある。そして,販売店各業務でBIを訴求することが,マツダのブランド価値向上につながった。
図3は,マツダの事例からBI訴求とブランド価値の関係を整理したものである。製品や広告コミュニケーションによるBI訴求によって,消費者は購買前の事前期待を形成する。販売店サービスによるBI訴求は,購買時点の知覚品質となる。ブランド価値は,両者の関係で決定する。つまり,知覚品質(t)≧事前期待(t)の時にブランド価値(t)が向上する64)。事前期待は,その評価に対する直接効果と知覚品質や知覚価値を媒介する間接効果があるが(小野・小川・森川,2021),マツダの事例は間接効果を示している。
注:上段はLemon and Verhoef(2016)のカスタマージャーニーを参考にした消費者視点,下段はマツダを事例にした企業視点である。ここではブランド価値が向上する場合のみを示しているので,事前期待≦知覚品質となる。事前期待>知覚品質となる場合は,ブランド価値は低下する。
出典:筆者作成。
高まった知覚品質(t)に加え,新製品導入やそれに伴う広告コミュニケーションによって次の事前期待(t + 1)は一層高まる65)。したがって,ブランド価値(t + 1)が向上するためには,知覚品質(t + 1)は,高まった事前期待(t + 1)と一致する,もしくは上回る必要がある。つまり,ブランド価値は,①事前期待と知覚品質の不均衡,②その解消,③さらなる事前期待の向上による再不均衡化,④その解消,と動態的に向上する。マツダは,販売店での消費者反応から,事前期待と知覚品質の不均衡を認識し,その解消のために販売店でのBI訴求に努めた。その後も,マツダが魅力ある製品を導入し,それを広告コミュニケーションで訴求した。事前期待は一層高まり,事前期待と知覚品質が再び不均衡化した。その解消のために,マツダは継続的に販売店従業員にBIを共有し,販売店でのBI訴求を強化し続けた。これらのことが,マツダのブランド価値の向上に繋がったと考えられる。
BO研究の多くは,BI訴求とブランド価値を単純な因果関係としてとらえている。しかし,本研究を通じて,各コンタクトポイントにおけるBI訴求が相互に影響していることが示された。事前期待と知覚品質の不均衡を解消するように各コンタクトポイントでBIが訴求され,ブランド価値は動態的に向上することが明らかになった。
本研究から次のような命題を導出する。
P2-a ブランド価値は消費者の事前期待と知覚品質の不均衡を解消しながら向上する。
P2-b 販売時点におけるBI訴求がブランド価値向上の鍵であり,販売時点に関係する従業員までBI共有することがそれに寄与する。
本稿の目的は,BI共有のプロセスとBI訴求とブランド成果の因果メカニズムに焦点を当て,BOとブランド成果の関係を明らかにすることであった。マツダを事例に,メーカーから販売店までのBI共有のプロセス,およびメーカーと販売店のBI訴求とブランド価値向上の関係を検討した。
本研究の学術的貢献は,BI共有の阻害要因に着目しBI共有プロセスを明らかにした点である。BI共有の阻害要因として,部門サイロ化と地域条件の相違に加え,歴史的先行条件の相違もあった。マツダは,これらを克服するために様々なBI共有に関する研修を用意したが,体験型研修が有効であった。また,BI訴求とブランド成果の関係において,メーカーと販売店でのBI訴求の関係に着目し,ブランド価値向上の動態的メカニズムを示した点も本研究の学術的貢献である。販売時点おけるBI訴求が事前期待におけるBI訴求と一致,もしくは上回るときに,ブランド価値が向上する。BI訴求とブランド価値の関係については,製品や広告コミュニケーションとの関係に焦点が当てられることが多い中,販売店サービスの役割を示したことは本研究の特筆すべき点である。
また,実務的貢献は,第1に,様々なBI共有のアプローチを示したことである。マインドセットの相違を前提に,多様なBI共有方法を模索しなければならない。第2に,販売時点によるBI訴求がブランド価値向上に大きく寄与することを示した点である。考慮集合に入るブランド数が少なくなっている現在,事前期待を高めることは不可欠である。したがって,ブランド価値向上のためには,販売時点におけるBI訴求を一層強化する必要がある。
本研究には多くの課題が残されているが,ここでは主な課題2点のみを指摘する。第1に,販売会社の属性を考慮したBI共有の検討である。本研究は,関東マツダを取り上げた。同社はマツダの資本が入り社長もマツダから派遣されている。マツダには独立系の販売会社もある。資本関係の相違によってBI共有の阻害要因や共有プロセスが異なると考えられるが,本研究はその点を割愛した。
第2に,市場条件の相違が顕著な海外販売子会社を対象に検討することも必要である。マツダでは,グローバルにブランド価値経営を展開するために,各国販売子会社・販売店へのBI共有を図っている66)(『SR2019』,p. 33)。また,米国や欧州ではディーラー改革も実施している。本社-各国販売子会社-販売店の視点から,BI共有プロセスやBI訴求とブランド価値を検討する必要がある。これらは今後の課題としたい。
本稿の事例研究は,マツダ,関東マツダ,ならびに関係企業の多くの方々の協力によって実現できた。紙幅の関係上,ひとりひとりの名前をあげることはできないが,本研究に協力してくださった全ての人々に改めて感謝の意を示したい。もちろん,文責は筆者のみにある。また,本研究はJSPS科研費 JP23K01636,明治大学社会科学研究所個人研究の助成を受けている。
また,BOの効果を中心にレビューした岩下(2019)によれば,BO効果の研究は,BOとブランド成果,市場成果,財務成果などの成果変数との関係を嚆矢に,BOの先行要因やBOと成果の調整・媒介要因について進められている。
さらに,BOそのものが他の変数間関係の調整・媒介要因になることも示されている。例えば,BOがマーケティング戦略と業績との調整要因になることや,市場志向と業績との媒介要因になることも示されている(Park & Kim, 2013;Piha, Papadas, & Davvetas, 2021;Wong & Merrilees, 2007)。
知覚価値論に立脚すれば,ブランド価値とは,ブランドを通じて企業から提供された便益による効用となる。ただし,ブランド価値の構成要素は,論者によって異なる。紙幅の関係上,ここでブランド価値の詳細を検討することはできないが,本稿では知覚価値論に立脚し,ブランド価値をブランドに対する知覚的効用と定義する。
2018年以降,マツダのブランド価値額が低下した理由として,マツダの営業利益の低下が考えられる。Interbrandのブランド価値額の評価方法は,純利益からブランドが貢献したブランド利益を算出し,それを現在価値に割引いて算出している。したがって,Interbrandのブランド価値額は利益額に依存するが,2017年以降,マツダの営業利益は減少している。2016年の営業利益は2267億円であったが,2017年には1256億円へと減少し,2021年は88億円まで減少する。しかし,2023年には1420億円まで増大している。2017年から2021年まで同社の営業利益が減少した理由として,次世代技術への投資,販売管理費の増大(特にアメリカにおけるチャネル改革),為替差損,新型コロナウィルスなどによる外部環境の変化,などが指摘されている(『AR』各年度版)。
「ご購入いただいた後も,保有期間内に,お客様が期待する以上のドライビング体験および所有体験を持っていただき,再びマツダを選んでいただけるようにすることで,マツダ・ブランドへのロイヤリティを創り出すことも重要です。…中略…また,私たちがお客様と対面できる瞬間であることから,販売現場でのブランド体験も,重要な要素になります。ブランドを構築していくためには,販売現場においても,“Zoom-Zoom”ブランドの「約束」を確実に実現したブランド体験を提供していかなければなりません」