抄録
15世紀は,イタリアで火器の普及と発達,それにともなう築城術の変化という二つの重要な軍事技術の変革が起こっていた時期である。その一方で中世イタリアの傭兵隊長 condottieri は,しばしば軍事的後進性の象徴とされる。彼らとは対照的に,百年戦争を経て常備騎兵隊と砲兵隊を備えたフランス軍は,ヨーロッパにおける近代的軍隊の先駆けとみなされる。こうした認識は,1494年のフランス軍の侵攻でイタリア諸国がたやすく征服されたという「神話」によって補強されている。だが,当時の両軍の編制・装備における差異は,それほど大きくはなかった。それゆえ,軍事技術の変革という視点から,イタリア傭兵隊長の後進性については,その実像を再考する価値があるだろう。
1460-1484年までにイタリアで起こった戦争を,当時の史料に基づいて検討すると,この時期火器・大砲の使用が包囲戦でも野戦でも拡大していったこと,これらの武器が戦争の基本的な道具であるという認識が一般化していたことが分かる。こうした状況下にあって,当時の傭兵隊長は火器を活用し,一方で砲撃から身を守るため,建築家や造兵家などを登用して助言を求めた。さらにこうした技術を実戦で用いるため,guastatori と呼ばれる専門の工兵隊を組織した。つまり傭兵隊長は戦争に対して自己の変革に積極的であったとみなすことが出来る。
傭兵隊長の関心が火器・築城に傾斜していた理由は,しばしば彼らの採った前近代的な「消耗戦略」のせいとされてきた。だが,傭兵隊長の戦略は包囲戦によって敵を消耗させるものではなく,城砦や野戦築城で敵軍の行動を制約し,打撃を与えて勝利を得るものであった。火器と野戦築城は包囲戦と野戦の在り方を変え,こうした戦略をより効率的にした。包囲戦の期間を短縮させる一方で,野戦では敵をより長く拘束することが可能となったのである。それゆえこうした技術は傭兵隊長によって直ちに受容されたと考えられる。