抄録
13世紀初頭に行われたフランス王権による低ラングドック地方の征服・併合は,国王統治拡大の重要な契機として位置づけられている。
当地方で展開された国王統治の実態を村落レベルで具体的に考察する上で,ルイ9世によって派遣され,地域住民や在地聖俗領主の王権に対する苦情・請願を集めた国王監察使の記録は,貴重な情報を提供してくれる。
本稿は,低ラングドック地方の中でも,同記録が豊富に残存するビテロワ地方に対象を設定し,村落レベルで展開された領域統治の実態の復元と王権の村落共同体に対する関係構築の論理の解明を試みる。
征服戦争の過程で,王権は都市ベジエに統治の中心を定め,個々の村落の規模,地理的位置(軍事的,経済的立地)と村落を統治していた領主の状況(反抗して除去,あるいは服従して存続)を考慮した上で,軍事的かつ経済的重要性の高い少数の村落を中継的拠点として選択し,確保した。こうしてルイ9世期の領域統治地図の原図ができあがった。
戦後,王国への正式な併合を機に,王権は地方統治機構の整備を進め,除去した世俗領主の権利・財産を引き継ぎつつ,残存している聖俗領主の権利・財産の剥奪を通して,統治の領域性を強化していった。
同時に,日常的統治実践においては,村落の軍事的あるいは経済的重要性と人口規模の大きさから政治的に無視できない一部の村落共同体との間に友好関係を選択的に構築し,自らの存在を地域社会内に安定的に位置づけ,統治の円滑性と実効性の強化を図った。