抄録
ある種の精神性を示す「装置」として現代にも継承されている「天使」の表象は,非常に中世的であると捉えられがちだが,いかに中世末期の文化的転換期に重要な役割を担ったか,イタリア語俗語文学において13世紀末から14世紀初頭にかけて現れる「天使のような貴婦人donna angelica/angelicata」のトポスをめぐって分析する。主なテクストはイタリア語俗語文学のうち,ジャコモ・ダ・レンティーニをはじめとするシチリア派から,グイド・グイニツェッリとグイド・カヴァルカンティ,清新体の詩人たち,特にチーノ・ダ・ピストイアとラーポ・ジャンニの恋愛抒情詩の系譜と,『新生』『響宴』のダンテである。
「天使」と恋愛をめぐるモチーフや語彙,象徴の体系の分析を通して,中世末のイタリア文化史の再解釈に,「天使」が有効な切り口を提供するイメージかつ「装置」と考えられることを示す。「天使」は「煉獄」の表象と同様に,13世紀から14世紀初頭という時代に特徴的な心性に基づくものであり,その共通点は,同時代の聖母信仰とも同じく,聖と俗を結ぶ中間的場を現出させる,仲介者としての機能である。さらに,「天使」は「中性」的あるいは「両性具有」的な存在として,男と女の両性を結び,交換することを可能とし,「天使的な貴婦人」は,喜びと救済,もしくは苦悩と死をもたらしうる両義的存在として人々において理解された。その特性から,「天使」は清新体から『神曲』にいたる世俗恋愛抒情詩の系譜において,民衆的感性と哲学的/神学的理論との架け橋となり,中世末のトスカーナを中心とする中部イタリアの歴史的状況において,近代俗語表現と精神世界の画期的伸展をもたらす「装置」として機能したと考えられるのではないだろうか。