抄録
Ⅰ.はじめに
赤ちゃん学会は2001年医学、心理学、脳科学のみならずロボテクスから複雑系まで、文理融合の新学術領域の創設を目指して造られた学会であり、同時に基礎研究の成果を育児、保育、教育の現場に役立たせようとして発足した。そのメインテーマは「ヒトのこころはいかにして生まれ、発達するのか」にあった。
今、重症心身障害児(以下、重症児)を取り巻く現状の中で、移植を前提とするなら重症児の命を奪えるというパーソン論1)が広がりつつあることに対して、命を守る側も情緒的対応をするだけでなく、まさにこころの存在についての討論を始めるべきであろうと考える。今回は赤ちゃん学の立場から「ヒトの心の起源」について私見を述べたいと思う。
Ⅱ.文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」、「構成論的発達科学−胎児からの発達原理に基づく発達障害のシステム的理解」から
2012年度から始まった新学術領域研究『構成論的発達科学−胎児からの発達原理の解明に基づく発達障害のシステム理解−』はロボテクス、人間科学(医学、心理学など)と発達障害当事者を融合した新しい学問領域の創設を目指すという大きな特徴を持っている。そして、もう一つの重要な特徴は胎児期の研究から始めようということであった。ヒトの行動の始まりは胎児期にあり、胎児の行動の多くは生後も連続して変化していく。発達とは連続する変化の過程であり、遺伝子によって造られる脳が環境によって相互作用を繰り返すことで脳そのものが変容し、そのために行動もまた変容して脳がさらに変わるという、いわばブートストラップ様の変化が発達である(図1)。
こうした連続する変化の中で、こころが生まれる過程を考えてみよう。まずこころの発達には自己の身体認知が重要である。そもそも、妊娠10週頃に出現する指しゃぶりは発達心理学的には自己の身体認知の方策であると言われていた2)。しかし、それを科学的に検証するのは行動観察だけでは限界がある。そこで國吉ら3)は解剖学に基づいて、骨格と198本の筋肉と触覚と体性感覚を埋め込んだ胎児モデルに脊髄、延髄、1次体性感覚野、運動野をモデル化した脳神経系を組み込み、非線形バネ・ダンパモデルと羊水、浮力、流体抵抗を組み込んだ子宮モデルの中で自発的の動きを起こさせ胎動の再現に成功した。そのうえで胎児モデルに埋め込んだ触覚センサーの分布を人に合わせたケースと均一の分布させたケースと、ヒトとは全く反対の分布にしたケースを作成し、自発運動の変化や脳に獲得される身体表象についてシミュレーションした。その結果ヒト型の分布をした胎児モデルでは胎動そのものがヒト胎児のそれとほぼ一致したが、それ以外のケースでは胎動とその変化は実際の胎児とは全く違ったものとなった。つまり、触覚の存在と自発運動との相互作用により、胎動が発達すること、さらに条件によって脳に獲得される身体表象の異常が生まれることを証明した4)。このことは胎児期に自己の身体認知が形成されることを明確にしたといえる。
今まで原始反射については生得的なものとされてきただけで、その発生メカニズムについては明らかにされてこなかった。國吉らの研究では胎児モデルに自発運動を10,000回繰り返させると、自動歩行のような反射が出現することも分かった。触覚を介して胎児の自発運動によって胎児の手足が子宮に触れるなどの相互作用を繰り返す中で、自動歩行などの原始反射が獲得されるという可能性を明らかになったのである。
この結果は実際の胎児観察によって、すでに妊娠11週から12週の胎児に原始歩行が見られることとも合致する。
Ⅲ.胎児研究から
こころの起源を探るとき、まず対象となるものが運動であろう。動くものを見ると誰しもそこに何らかの意図を感じるものである。ここではまず胎動について考察してみたい。
そもそも胎動はいつどのようにして始まるのであろうか。胎動は妊娠7週頃から始まると言われ5)、 その発生は脊髄もしくは延髄に存在するcentral pattern generator(以下、CPG)によるとされている。このリズムについて九州大学の諸隈は胎動のリズムと心拍の揺らぎのリズムが妊娠38週頃には一致するという現象を発見した6)。NREM期の口唇運動の周波数と心拍変動の周波数が一致するのである。このことから心拍リズムと口唇運動のリズムの間に何らかの関係があることが示唆された。
胎児においてリズムが最初に出現するのは心臓であり、心臓が動き始めてしばらくすると様々な胎動が出現するようになる。そのリズムはどのようにして出現するのか不明であったが、諸隈の研究は心拍変動が胎動のリズム生成に何らかの影響をしている可能性を示したもので大変興味深い。
CPGも心臓のペースメーカも細胞の集団発火(同期現象)によってリズムができるというメカニズムを持っていることが分かっている7)。CPGでは脊髄などのニューロン群が同期発火をくりかえすことによって胎動が出現するとされており、そのためにCPGは別名リズム生成器とも呼ばれている。また、心拍はペースメーカ細胞の一群が同期発火することによってその他の心筋細胞を刺激し、リズムを生むと言われている。もちろん二つのリズムは周波数なども違うが細胞の同期現象によるリズムの生成という点で共通していることが興味深い。
そもそも胎動は自発運動と言われ、意識的な運動ではないとされる。しかしながら、この運動によって自己の身体認知ができるようになったり、自動歩行などの原始反射も胎動と環境との相互作用によって出現するとなると少なくとも自らをとりまく環境に気づいていると言える。ロシャーら2)も胎児の指しゃぶりの研究などから胎児期にawareness(気づき)はあると主張している。
超音波診断装置の進歩は胎児の3D画像を得ることを可能にし、今まで断層撮影であったために観察できなかった胎児の表情を撮影することを可能にした8)(図2、文献9より)。その結果、今まで分かっていた以上に複雑な表情(正確には顔面筋の運動)を胎児がしていることが分かった。秦らは胎児の表情の詳細な観察の中で、その発達過程も明らかにしているがそれによると今まで分かっていた微笑に加えて、泣きや困惑したような表情まで確認した。生まれたばかりの新生児が大人の表情を模倣して舌を出したり、口を開けたりすることは心理学研究の中で分かっていたが9)、なぜそうしたことができるのかについては結論が出ていなかった。しかし、胎児観察によって表情の模倣は表情を真似して作るのではなく、自分の中にあるパターンを選択し、他者のそれと合わせるだけではないかということが判明した。しかし、表情を合わせるということは単に同じ顔をするということではなく、表情を共有することによって感情も共有する、すなわち共感するといったことにつながるのではないかと考えられる。もちろん胎児期の表情については感情を伴うものではないことは明白である。
Ⅳ.新生児に意識は存在するか
新生児期にも自発運動は存在するが、それ以外に意識的な運動が存在するかどうかについては議論があり、意識の存在についてはその運動に目的があるかどうか、つまりゴールダイレクトかどうかの議論がなされてきた。
1980年バウワー9)が新生児のリーチングに意図があると発表してこの論争に一石を投じた。1995年のファン・デル・メアーら10)の実験では仰臥位にした新生児の両手に重りで重力を加えて伸展させたのち児が重力に抗して手を持ち上げるかどうか、暗くした実験室で児が向いた方の手に光を当てるとその手をどうするかなどを観察し、重力に抗して顔を向けた方の手を有意によく動かしたり、光が当たると手をよく動かすことなどから、新生児は手を意識的に動かすと結論した。しかしながら、こうした変化は運動すべてに起こるわけではない。嚥下運動に関しては生後1カ月の嚥下運動は規則的であり、呼吸を止めて行われる反射的のものであり無意識の運動と言われるが、生後2カ月にはリズムは不規則となり、呼吸運動がその間に挟み込まれるようになる。この時期飲むたびに吸啜力は変化し、飲む量も時間も一回ごとに変わってくる。いわゆるムラのみである。しかし、こうした飲み方は乳児の意志の表れとされ無意識の運動から意識的な運動の出現という変化と考えられる。
一方、ハイハイや歩行などの移動運動は生後数カ月以内には原始反射として出現しており、一旦消失たように見える時期を経て意識的な運動として出現する。この現象はU字現象と言われるが、U字現象の前と後の運動については細かな様式は異なるものの、意識的な運動の中には原始反射としての運動が組み込まれているとされる。さらにこうした運動は1~3年後には自動化され無意識にも意識的にもすることができるようになる。
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