日本重症心身障害学会誌
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追悼文
追悼 江草安彦旭川荘名誉理事長 (日本重症心身障害学会名誉会員)
末光 茂
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2015 年 40 巻 3 号 p. 349-350

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抄録
本学会名誉会員の江草安彦旭川荘名誉理事長には、本年3月13日急逝されました。 先生は岡山医専(現・岡山大学医学部)を卒業後、小児科学教室(浜本英次教授主宰)で研鑽を積まれ、昭和32年社会福祉法人「旭川荘」創立時から一貫して障害児・者を中心に、乳幼児から高齢者までの医療福祉に関わる諸施設の建設と運営に献身して来られました。 なかでも重症心身障害を中心的なテーマにし、その現場実践とともに、国での各種審議会等の委員長を歴任し、制度改革に取り組んで来られました。 重症心身障害との関わりは、小林提樹先生が日赤産院で「両親の集い」を、開催しておられる場に加えていただいたことに始まります。 中四国で最初の民間重症心身障害児施設「旭川児童院」開設に際しては、愛育委員会や黒住教青年連盟、岡山県合唱連盟等々、県民総ぐるみでの運動を展開する推進役を果たされました。 とくに地元の山陽新聞社は、社告をもって重症児施設建設を訴え、約10カ月の連載記事で県民の意識を喚起するのに大きく寄与し、「新聞協会賞」受賞の栄誉を受けています。 そこには、当時「ゲバラ日記を片手に市民運動を」と、社会の理解こそが大切と考え、関係者に檄を飛ばしていた先生の基本姿勢が伺えます。 また、新たにスタートした重症児施設の幹部職員には、重症心身障害児の文化獲得過程を研究する機会は、今をおいてないと、比較文化精神医学の立場からのアプローチを指示された点からも、視野の広さが伝わってきます。 高い理想とともに、地に足の着いた現場実践を心がけ、さらに科学的な裏付けの重要性を職員に徹底された。本学会はもちろん、小児精神神経学会等に積極的に参加し、研究成果を世に問うよう叱咤激励して来られました。 本学会の評議員・理事、第20回学術集会会長(平成20年)を務め、平成19年から名誉会員でした。重症児療育の体系化のため、公法人立重症児施設職員を対象とした「重症心身障害療育学会」を昭和52年に立ち上げ、『重症心身障害療育マニュアル』『重症心身障害通園マニュアル』を監修、出版されました。 重症心身障害入所施設の全国組織である日本重症児福祉協会(現在の日本重症心身障害福祉協会)の理事長、全国重症心身障害児(者)を守る会の理事等を務めた後、日本愛護協会(現在の日本知的障害者福祉協会)の会長や、日本自閉症協会の会長等、関連分野のリーダーとしても環境整備に力を発揮されました。 それらは、朝日社会福祉賞や日本医師会最高優功章等々、多くの受賞からも伺えます。 さらに、若き日フランスで学んだそのご恩返しはアジアでするようにとの、パリ大学デュッセ教授の助言に従い、韓国、台湾、フィリピン、マレーシア、ネパール等からの研修生約700名と視察団約900名を草の根的に受け入れ、それぞれの国の障害児者の医療福祉の向上に大きく寄与してこられました。最近の20年は主として中国・上海での、高齢者介護の人材育成に先導的な役割を果たされ、「上海市栄誉市民」等の称号を授与されています。 小児科医になるか、子どものための弁護士になるか、若き日に迷ったことからも、診察室に閉じこもるのではなく、地域に出かけて乳幼児検診や社会啓蒙活動に邁進されました。時代の流れを適確に読み、対応するとともに、時流を作り出すエネルギーあふれる推進力もあわせて持っておられました。 3つの施設で始まった「旭川荘」を、87施設へと充実、発展させる強力な牽引役を果たされました。これからの数年間でぜひとも障害をもつ人たちの文化・芸術活動と、中国以外の東アジアへの貢献を夢見ておられました。 心臓手術の経過が芳しくなく急逝されたのは、我々にとって痛恨の極みですが、ご本人が最もそのことを残念に思っておられたことでしょう。先生の最後の著書となった『果てしなく続く医療福祉の道』(日本医療企画)の中に「道終わりなし」の言葉が残されています。関係者は先生の思いをわが思いとして、最も弱い人達の尊厳確立に向けた道を切り拓いていくよう御霊に誓いたい。
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© 2015 日本重症心身障害学会
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