日本重症心身障害学会誌
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Print ISSN : 1343-1439
巻頭言
東北地区の重症心身障害療育
須藤 睦子
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2017 年 42 巻 3 号 p. 331-332

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抄録

遠い記憶の中の映像ですが、それは大学の講義室のように殺風景な部屋でした。 1975年10月、当学会の前身である重症心身障害研究会が初回に開かれた会場は国立病院管理研究所という場所でした。 会場は慎ましいものでしたが、小林提樹先生をはじめ、重症児医療の草分けの錚々たる先生方がそろっておいでになり、重症心身障害に関しての全国規模での研究と情報交換の場が始まった時でした。 当初の会員は321名で、その中で東北地区の会員は駆け出しだった筆者も含めてわずか6名で、2%にもなっておりませんでした。 その後1996年に学会となり、「研究会誌」から「学会誌」になった頃には、(同年の学会誌によると、)会員数536名で東北地区の会員数はまだ少ないものの多少は増えて37名(約7%)になっておりました。 現在、全国の会員数は2000人あまりとなり、今年、東北地区では3回目となる学術集会が仙台市の国際センターにて開催されました。 中央部では、秋津療育園、島田療育園、びわこ学園などをはじめ、民間でも重症心身障害児者の医療と福祉を担う施設が、早い時期から次々と設立されたことに比べると、東北地区での民間施設の開設は未だ微々たるものと言えるのが現状です。 その理由は、まず東北の経済力の弱さがありますし、医療や福祉に関わる人材の実数の不足や、人口密度の低さによる事業展開の困難さもあると思われます。 さらには、東北人の特性として、「他人に迷惑は掛けたくない」と言うような我慢強さと公的なサービスに対する市民の要求発信や発言をする力が強くないこと、多世代家族が多いため家庭の中での介護力が比較的大きいことなどもあったかもしれません。 そのため、東北地区では旧国立療養所、(今の独立行政法人国立病院機構)の中の委託病床が、長い間重症児者医療療育の中核を担って来ました。 そのような状況で、東北地区では医療、療育の実践に関わる研究も以前はほとんどが旧国立療養所の中から発信されてきておりました。 重症心身障害児者への支援は決して医療の分野に留まらず、周囲の関連分野を含めてなりたっており、その研究は医療と福祉(時には教育)の連携による成果の良いモデルともいえると思います。 この学会誌を見ても、近年は投稿者の職種が多岐に渡っていることが見て取れます。 一方、東北地区での重症児者医療の中心であった旧国立療養所では、その成り立ちからも、中心になる職員は看護師であり、多くの病院では原則的には他の病棟との間で勤務の異動があります。福祉的支援や生活および発達の支援の中核にあたる職員はごく少数の児童指導員と保育士が担い、リハビリのスタッフの関与も多くはありませんでした。 このような点からも、東北地区では腰を据えての重症児者の医療療育を深めての発信があまり多くなかったともいえます。 しかし、当初は東北のみで始まり、後に北海道も含めて各地持ち回りで20数年間開催されて来た重症児者に関する国立系中心の研修会へ、毎回多数の参加者がある事を見ても、重症児者の療育に携わる職員たちの学びや情報交換への意欲はこれまでも決して低いわけではなかったと思われます。 また一方、近年重症心身障害児者の数は在宅で過ごす方を中心に増えてきており、その中でも医療面での重症度が高い例の割合は急速に増加しております。 そして、その方々を支援して行く場は医療、療育、生活支援とも他の地区と同様に東北地区でも不足しております。 そのような支援はとうに国立系だけではとてもまかないきれず、大小の医療機関はもちろん、小さな事業所も含めてさまざまな福祉施設も関わりを持つようになりつつあります。 筆者は多くの医療や福祉の現場が重度心身障害児者との接点を持ち、そのことが支援の土台を大きくし、障害児者の世界を拡げて行くことにつながることが望ましいと考えております。 多くの人たちが重症児者とのより安全で豊かな関わりが持てるように、課題や成果の共有をすることはそのためにも一層大切なことです。 今回、学術集会が仙台で開かれたことは一つの良い刺激になっていると考えられますので、今後とも、この学会がこれらの多くの方々の情報交換の場の一つとして、東北地区においても一層の広がりを持つことができるよう期待しております。 また、東北人の引っ込み思案を克服して、積極的に成果の発信をして行きたいものです。

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© 2017 日本重症心身障害学会
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