日本体育学会大会予稿集
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第69回(2018)
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一般研究発表(11) 体育科教育学
11教-24-口-29 戦後体育改革期における竹之下休蔵の動向に関する研究
*小松 恒誠鈴木 秀人
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p. 247_2

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抄録

 竹之下休蔵(1909-1988)は、アジア・太平洋戦争敗戦後、日本における学校体育の改革に多大な役割を果たし、戦後体育の礎を築いた人物であるとされている(永島、 1983;佐伯、 2006、 2013)。具体的にいえば、竹之下は1947年8月に公表された「学校体育指導要綱」から1949年9月「学習指導要領小学校体育編」、1951年7月「中学校・高等学校学習指導要領保健体育科体育編」、1953年11月「小学校学習指導要領体育科編」の作成に関わった点が評価されていると考えられる。しかし、こうした文書の作成に関わる竹之下の動向は詳らかにされてこなかったといえる。竹之下は、学校体育研究委員会や文部省事務官としてこれらの文書作成のために、現場での実践研究を進め、C.I.Eとの折衝を重ねながら自らの体育論を構築していた。こうした状況を検討しなければ、竹之下が展開した体育論の意義や限界は正確に把握しえないだろう。本研究では、竹之下が文部省事務官として深く関わったと思われる「学習指導要領小学校体育編」(1949年)の作成過程における竹之下の動向を明らかにし、その時期の竹之下の体育論との関係について考察する。

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