【目的】せん妄を呈した進行がん患者における苦悩の実態の検討.【方法】国内14施設の緩和ケア病棟に入院中または国内10施設の一般病棟に入院し精神腫瘍科が介入中の進行がん患者のうち,せん妄と診断され抗精神病薬の定期投与を受ける患者を前向きに連続サンプリングした.苦悩の有無を緩和ケア専門医が判断し,患者背景,DRS-R-98で評価したせん妄の重症度を比較した.【結果】対象患者818名のうち99名(12.1%)に苦悩を認めた.年齢,39歳以下,認知症の有無に有意差を認めた.治療前のDRS-R-98(15.3±8.1点 vs 17.3±7.8点,p<0.02)は苦悩を伴う群で有意に低く,情動の変容は有意に高かった.【考察】せん妄を呈した進行がん患者で苦悩を伴うものでは年齢が低く,認知症の併存が少なく,せん妄の重症度は低く,情動の変容が強いことが示された.
終末期の苦悩terminal anguishは「ひどく苦痛な精神状態」と説明され,長年の未解決のスピリチュアルな問題,情緒的な問題,内的な葛藤,抑圧された不快な記憶などと関連するとされている1~3).患者が思考をコントロールできる間はすべて問題なく見えるが,衰弱が進み,傾眠となり,思考のコントロールができなくなると,無意識のなかに隠されていた問題が表面化する2,3).苦痛緩和のための鎮静の適応として,精神的苦痛のなかに,不安や実存的苦痛とともに苦悩が挙げられることがある4,5)が,苦悩の定義は定められておらず,実態は明らかになっていない.
終末期の苦悩と類似した表現として,終末期の身の置きどころのなさterminal restlessnessという言葉が使われることがあり,これは終末期の患者の25~88%に認めるとされている1).身体的,心理的およびスピリチュアルな苦痛の兆候として現れる6,7)とされ,終末期の苦悩や過活動せん妄のほか,コントロール不十分な痛みや呼吸困難,尿閉や宿便,アカシジアや薬物の離脱などが原因でじっとしていられないことなどを包括した症候を表す用語として用いられている1~3,6).身の置きどころのなさは患者や家族にとって苦痛であり1,7),死亡直前期の患者の多くは苦悩やせん妄を含めた,さまざまな要因が入り混じった苦痛を呈していると考えられる.
終末期のせん妄については,亡くなる前の数時間から数日の間の有病率は88%と報告されている6).せん妄の患者の苦痛については,せん妄から回復した70歳以上の患者におけるせん妄による苦痛の質的研究8)で,失見当識,幻覚/妄想などの症状による苦痛のほか,心理的な苦痛として怒り/葛藤,恐怖,罪責感,無力感など,状況による苦痛としてコントロールの喪失,知識の不足,安全性,予測困難性などが挙げられている.せん妄から回復したがん患者のうち,せん妄を想起できる患者において80%が強い苦痛を体験したと報告されている9,10)が,これには前述の怒り/葛藤,罪責感,コントロールの喪失など苦悩と一致するものを含めた,さまざまな苦痛が含まれているといえる.われわれの知る限り,せん妄を呈した患者において苦悩に着目した先行研究はなく,その関連や実態は明らかになっていない.
本研究では,専門的緩和ケアサービスを受けている進行がん患者のうち,せん妄を呈した患者において,苦悩を伴うことは,伴わないことと比較して,どのようなせん妄の臨床的特徴があるかを検討することを目的とした.
本研究は,Japan Pharmacological Audit study of Safety and Efficacy in Real world(以下Phase-R)の二次解析である.Phase-Rは緩和ケア領域で用いられている薬剤の治療の効果・有害事象に関するデータを集積することを目的とした多施設前向きレジストリ研究である.せん妄に用いられる薬剤に関しては,2015年8月から2016年6月に,国内14施設の緩和ケア病棟および国内10施設の精神腫瘍科が介入している一般病棟で行われた.
本研究は,患者の選択,治療,測定がすべて通常診療の範囲内で行われる研究であり,疫学研究に関する倫理指針の定めに従って,対象者が研究への参加を拒否する方法などを実施施設のホームページ・院内掲示で公開しオプトアウトで実施した.また,各施設の倫理委員会に承認を受けた.
対象患者進行がんに対する内科的治療を目的に精神腫瘍科が介入している一般病棟に入院している患者,または,終末期ケアを目的に緩和ケア病棟に入院している患者のうち,せん妄と診断され,抗精神病薬の定期投与を受ける18歳以上の患者を対象とし,連続サンプリングで登録した.せん妄の診断は,Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition(DSM-V)に基づいて,各患者の担当している緩和ケア病棟の医師,もしくは精神腫瘍科の医師が行った.アルコールや他の薬剤の離脱症状によるせん妄の患者,術後せん妄の患者,終末期せん妄に対して苦痛緩和のための鎮静を受ける患者,本人・家族から本研究への参加を拒否する旨の意思表示があった患者は除外した.
調査項目対象患者の苦悩の有無を,各患者の担当している緩和ケア病棟の医師,もしくは精神腫瘍科の医師が研究登録時に判断した.本研究では,苦悩を「生きている意味の喪失,価値・これまでの人生についての後悔,罪責感,対人関係の葛藤」と定義した.苦悩の定義や診断基準は定められていないため,先行文献1~3)を参考にして,各参加施設の研究担当者の合意に基づいて操作的に定義付けを行い,研究実施前に施設の担当医が集まってミーティングを実施し,定義等の読み合わせを行った.研究登録時に,患者の背景に関しては年齢,性別,原発巣,器質的脳疾患の有無,脳血管障害の有無,認知症の有無,Eastern Cooperative Oncology Group Performance Status(ECOG PS),Palliative Prognostic Index(PPI),せん妄に関しては重症度,原因,サブタイプ,選択された抗精神病薬を調査した.せん妄の重症度はDelirium Rating Scale-Revised-98(DRS-R-98)11,12),サブタイプはDelirium Motor Subtyping Scale(DMSS)を用いて評価した.抗精神病薬による治療効果は,投与開始の72時間後にせん妄の重症度をDRS-R-98で評価し,治療前と比較して50%以上低下した場合に治療効果があると判断した.
統計解析苦悩の有無により,苦悩を伴う群(苦悩あり群)と伴わない群(苦悩なし群)の二群に分けて,患者背景,せん妄の特徴を比較した.解析はt検定,Pearsonのχ2検定,Fisherの直接法を用いた.すべての分析はIBM SPSS Statistics 21(日本IBM,東京)を用いて行った.有意水準はp値<0.05とした.
せん妄を呈した進行がん患者で適格基準を満たした818名のうち,99名(12.1%)に苦悩を認めた.患者背景の比較を表1に示した.苦悩あり群では,平均年齢が統計学的に有意に低く(68.9±12.6歳 vs 72.1±11.2歳,p=0.009),39歳以下が有意に多かった(5.1% vs 0.007%,p=0.004).併存疾患は,認知症の合併が有意に少なかった(2% vs 10.4%,p=0.005).性別,原発巣,ECOG PS, PPI>6点に差は認めなかった.
DRS-R-98で評価したせん妄の重症度を表2に示した.苦悩あり群は,苦悩なし群と比較して,DRS-R-98で評価したせん妄の重症度が有意に低かった(15.3±8.1点 vs 17.3±7.8点,p=0.018).各評価項目について比較すると,苦悩あり群は,苦悩なし群と比較して,情動の変容が有意に高く(1.2±0.8点 vs 1.0±0.9, p=0.023),認知機能にかかわる項目は有意に低かった(6.8±4.5 vs 8.4±4.4, p=0.001).認知症の患者を除外した解析でも同様の結果であった(付録表1).
その他のせん妄の臨床的な特徴を表3に示した.苦悩あり群のせん妄の原因は,苦悩なし群と比較して,低酸素血症(12.1% vs 20.7%,p=0.044)と低ナトリウム血症(1.0% vs 8.5%,p=0.004)が少なかった.せん妄のサブタイプは群間差を認めなかった.選択された抗精神病薬の種類は,ハロペリドール(298名,36.4%),クエチアピン(151名,18.5%),リスペリドン(122名,14.9%)が多かったが,有意な差は認めなかった(p=0.25).
抗精神病薬による治療効果を表4,付録図1に示した.抗精神病薬による治療前後のDRS-R-98で評価したせん妄の重症度を比較すると,苦悩なし群では改善を認めた(17.4±7.8 vs 16.5±9.2, p=0.004)が,苦悩あり群では改善を認めなかった(15.3±8.1点 vs 14.9±10.2, p=0.64).治療効果が得られた患者の割合は有意な差を認めなかった(苦悩あり群: 24.2%(24名) vs 苦悩なし群: 18.8%(134名),p=0.20).
本研究は,私たちの知る限り,せん妄を呈した進行がん患者における苦悩の有病率や,苦悩の有無による患者背景とせん妄の臨床的特徴について検討した初めての研究である.
苦悩の有病率本研究では,せん妄を呈した進行がん患者の12.1%に苦悩を認めた.鎮静についての11論文の系統的レビュー13)では,774例の鎮静の対象症状として,せん妄が54%に対し,精神的苦痛は19%で,精神的苦痛は単独ではなくせん妄や他の身体的苦痛と併存していると報告されている.本研究ではこれより低かったが,本研究ではせん妄を呈した患者を対象としており,対象患者が異なることによる差の可能性がある.
せん妄の重症度と関連因子本研究では,せん妄を呈した進行がん患者のうち,苦悩を伴う患者では,DRS-R-98で評価したせん妄の重症度が低く,せん妄の症状の特徴としては,認知機能の障害が少なく,情動の変容が強く,その他の幻覚や妄想,精神運動症状などでは差を認めないという結果であった.情動の変容に関しては,終末期の苦悩は,のたうちまわる,うめく,うなる,叫ぶといった兆候が現れるとされていて1~3),これらは情動の変容にあたると考えられ,苦悩を伴うせん妄を呈した患者では情動の変容が強く表出されることが特徴であることが示唆される.
また,終末期に苦悩が出現する機序として,終末期になるにつれて思考のコントロールができなくなることで,無意識のなかに隠されていた問題が表面化する2,3)と考えられているが,本研究ではせん妄の症状の特徴としての思考過程の異常や言語については差を認めなかった.今後の研究で,終末期における思考のコントロールや防衛機制と苦悩の関連についての検討が求められる.
せん妄の原因としては,苦悩を伴う患者では低酸素血症は有意に少なく,脳転移・腎不全についても少ない傾向があり,一方,苦悩を伴う患者ではオピオイド等の薬剤が多い傾向にあり,苦悩を伴わない患者と比較して不可逆的な要因が少なく,可逆的な要因が多い傾向にあった.
抗精神病薬による治療効果については,先行文献では治療反応が乏しい因子として,70歳以上,せん妄のサブタイプ,中枢神経への腫瘍の進展,認知症の既往などが挙げられている14〜17)が,苦悩の有無の影響についてはこれまで検討されていない.本研究では,治療前後のDRS-R-98で評価したせん妄の重症度をそれぞれの群で対応のあるt検定で比較をすると,苦悩を伴わないせん妄患者では改善を認め,苦悩を伴うせん妄患者では改善を認めないという結果であった.しかし,治療効果が得られた患者の割合では両群に差を認めず,本研究では抗精神病薬による治療効果の明らかな差を言及することはできない.今後のさらなる研究で,苦悩を伴うせん妄の患者に対して,適切な介入方法についての検討が求められる.
認知症との関連患者の背景について,本研究では苦悩を伴う患者では認知症の合併が有意に少ないという結果であった.認知症の患者において,自尊心や社会とのつながりの変化などで実存的な苦痛があることが注目されている18,19)が,認知症の終末期の患者において97%で精神的な苦痛のアセスメントが行われておらず,適切な介入が行われていないという報告がされている20).認知症があることで,苦痛を認識できないという先入観から見落とされていることが指摘されている21).本研究では認知症を合併する患者では苦悩を伴うことが少ないことが示唆されたが,認知症の患者における苦悩が過小評価された可能性も考えられる.
AYA世代年齢に関しては,本研究ではせん妄を呈したがん患者のうち39歳以下の若年者では苦悩を伴う患者が有意に多いという結果であった.15~39歳はadolescent and young adult (AYA)世代と呼ばれ,子供から大人への発達過程でアイデンティティを形成する年代であり,AYA世代のがん患者は感情面,実存面,人間関係など,,さまざまな心理社会的なつらさを抱えている22).乳がんサバイバーを対象とした研究では,若年患者(45歳以下)は高齢患者(55歳以上)と比較して精神的な問題が多い(5.2% vs 2.1%)と報告されている23).また,14~39歳のがん患者を対象とした縦断的研究では,精神的な苦痛は診断から4カ月で28%,6カ月では16%,1年で23%であり,治療の状況や就業/学業の状況が影響すると報告されている24).本研究では39歳以下の患者は10名と少ないが,半数に苦悩を認めたという結果はこれまでの研究と比較して多い傾向にあった.本研究では緩和ケア病棟または緩和ケアチームの介入で緩和ケアを受けている患者を対象としており,緩和ケアを受けているAYA世代の患者では苦悩の有病率が高い可能性が示唆される.
本研究の限界は,本研究では担当医が操作的な定義に基づいて苦悩の有無を判断しており,測定バイアスが存在する可能性がある.バイアスを低減するために,苦悩の定義は各研究参加施設の担当者の合意に基づいて定義付けを行って共有し,せん妄や苦悩の臨床の経験が豊富な緩和ケア病棟の医師,もしくは精神腫瘍科の医師が判断を行うことで対応した.また,苦悩の重症度が評価されていない.苦悩を伴わない患者では,せん妄の重症度のうち認知機能の障害が多い傾向にあったが,認知機能の障害のために苦悩を表現することが困難であったため,苦悩を過小評価された可能性がある.また,認知症を合併している患者では,苦悩の評価が困難で,過小評価している可能性が考えられる.本研究は探索的研究であり,せん妄症状,せん妄の原因について多重比較の補正を行わなかったためαエラーが制御できていない可能性がある.また,本研究はせん妄と診断され抗精神病薬の定期投与を受けた患者を対象とした観察研究であるため,終末期患者全体での苦悩の実態については評価できない.また,うつ病等の精神疾患と苦悩との異同についても本研究では明らかにできなかった.今後の研究で,苦悩の診断・重症度の評価方法,苦悩に対しての適切な介入方法の検討が求められる.
本研究では,せん妄を呈し抗精神病薬の定期投与を受けた進行がん患者の12.1%に苦悩を認めた.苦悩を伴う患者ではせん妄の重症度が低い傾向にあり,せん妄の特徴としては情動の変容が強く,認知機能の障害が少ないことが示された.苦悩を伴うせん妄の患者の背景は,認知症の合併が少なく,年齢が若い傾向にあり,とくに39歳以下の患者に苦悩を伴うことが多いことが示唆された.
本研究にご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます.
本研究はAMEDの課題番号15ck0106059h0002, 科研費JP16H06239の助成を受けたものです.
上村恵一:講演料(MSD株式会社),
小川朝生:講演料(MSD株式会社),
吉内一浩:奨学(奨励)寄付金(金子書房),
その他:該当なし
川島は研究の構想およびデザイン,データの収集,分析,解釈,原稿の起草に貢献; 久永,浜野,前田は研究の構想およびデザイン,データの収集,分析,解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献; 今井,坂下,松本,上村,小田切はデータの収集,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献; 小川,吉内,岩瀬は研究の構想およびデザイン,データの収集,原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終確認,および研究の説明責任に同意した.