2020 年 15 巻 2 号 p. 85-89
Stiff-person syndrome(SPS)は,特徴的な筋硬直および有痛性痙攣により進行性に四肢軀幹筋の運動障害を引き起こす極めて稀な疾患であり,診断に苦慮することがある.SPSでは抗GAD抗体や抗amphiphysin抗体などの自己抗体が証明される場合があり,これらの抗体による中枢神経系でのGABA作動性ニューロンの障害が推測されている.今回われわれは,進行期乳がん患者に発症した傍腫瘍性SPSの症例を経験したので報告する.【症例】患者は52歳の女性で,両側肺転移,両側がん性胸膜炎,肝転移,がん性腹膜炎,両側卵巣転移を伴う進行期乳がんと診断された.全身状態不良のため抗がん治療の適応はなく,緩和ケア病棟入院にて酸素投与や胸腹水ドレナージを行ったが,嚥下障害に始まり筋硬直による上肢の運動障害や歩行障害が急速に進行し,脳神経内科にて傍腫瘍性SPSと診断された.ジアゼパム投与で若干効果が認められたが,傾眠となり投与量調整に難渋した.
Stiff-person syndrome(以下,SPS)は,特徴的な筋硬直および有痛性痙攣により進行性に四肢軀幹筋の運動障害を引き起こす極めて稀な疾患である.1956年にMoerschらにより初めてfluctuating muscular rigidity and spasm(Stiff-man syndrome)として報告され1),その後女性にも認められることよりSPSと称されるようになった.1967年にはGordonらによって診断基準が作成され2),1990年に本症候群の約60%にグルタミン酸脱水素酵素(glutamate decarboxylase: GAD)に対する自己抗体が存在し,自己免疫異常により起こる神経疾患である可能性が示された3).その後,悪性腫瘍を合併する抗amphiphysin抗体陽性例4)や,縦隔腫瘍に伴った抗gephyrin抗体陽性例5)の報告があり,本症候群が傍腫瘍性神経症候群として発症することも明らかになってきた.がん患者に本症候群が発症した場合,多くの主治医にとってなじみのない疾患であるため,疾患の想起が困難なことや,がん化学療法や鎮痛薬物,抗精神病薬などの副作用による神経障害との鑑別が困難な場合もあると考えられる.当院では脳神経内科にコンサルテーションが可能であったため,比較的円滑に診断に到達できたが,このような極めて稀な疾患の診断は一般には難しいと思われる.今回われわれは初発進行期乳がん患者に発症した傍腫瘍性SPSの1例を経験したが,がん緩和領域の医療者にとっても有用な情報となると考え報告する.
【患 者】52歳女性
【診 断】左乳がん,両側多発肺転移,両側がん性胸膜炎,多発肝転移,がん性腹膜炎,両側卵巣転移.
【生活歴】無職(大学卒業後に就職したが,二度転職し30歳ごろからは無職となった.以降自宅に引きこもり,家族とのコミュニケーションや接触は希薄となっていた)
【現病歴】2014年9月頃に左乳房のしこりを自覚した.2015年からしこりからの出血を認めるようになったが,病院受診に恐怖心があり放置していた.2019年5月から腹部膨満,両下腿浮腫が出現した.嘔気を主訴に2019年6月当院外科外来を受診したところ,左前胸部に直径約10 cmの露出した易出血性の腫瘍を認め,進行期乳がんが強く疑われた.患者は積極的な抗がん治療を希望されなかったことから,緩和ケア内科外来に紹介された.低栄養による,るいそうと嘔吐など著しい全身状態不良のため,即日緩和ケア病棟に徒歩にて入院となった.
【入院時現症】Performance Status(以下,PS)3. 身長152 cm,体重49 kg. 意識清明.BT 36.6℃,HR 100/min,BP 90/52 mmHg,RR 18/min,SpO2 98%(室内気).左前胸部に直径約10 cmの露出した平坦な易出血性の腫瘍を認めた.可動性なく,内側および対側に多数皮膚結節あり.右乳房も全体的に硬い.腹部は著明に膨隆し,波動を認めた.腸蠕動音は正常で,金属音も聴取しなかった.両側下腿に中等度から高度の浮腫を認めた.
【入院時検査所見(表1)】血液検査では貧血とアルブミン,Na,Clの低値とCK,HbA1cの高値と凝固異常を認めた.CEAやCA15-3など各種腺がんの腫瘍マーカーは高値であった.胸腹部造影CT検査では左胸壁に陥凹を伴う約4 cmの腫瘍と,左腋窩リンパ節腫脹,両側中等量の胸水貯留などを認めた.また葉間胸膜に一致した小結節,両肺野に小結節を多数認めた.肝内に結節を認めたほか,両側卵巣にも充実性構造を認め,大量の腹水貯留を認めた.
【入院後経過】腸閉塞による嘔気症状と診断し,入院後に経鼻胃管による減圧と腹水穿刺ドレナージを行った.低酸素血症に対し,第2病日より酸素投与を開始した.第4病日より呼吸困難に対して塩酸モルヒネ持続静注を開始した.第7病日には腸閉塞および下肢浮腫の改善を認め,経鼻胃管を抜去した.呼吸困難に対して,第8病日より胸水穿刺ドレナージを行った.左乳腺腫瘍の針生検でBreast Cancer(invasive ductal carcinoma,scirrhous type),胸腹水の細胞診でAdenocarcinoma class Vの結果となり,前述の画像診断と併せ,進行期左乳がん,両側肺転移,両側がん性胸膜炎,肝転移,がん性腹膜炎,両側卵巣転移と診断した.入院時から嗄声があり,当初反回神経麻痺による症状を疑っていたが,第14病日に嚥下機能評価で,咽頭喉頭筋の硬直による重度の嚥下障害,構音障害と評価された.以降急速に歩行時のふらつきが強くなり,第18病日よりPS 4に低下した.第23病日より両上肢の挙上困難が出現するも,症状は自然に軽快することもあり日内変動を認めた.頭部CTでは異常を認めず,原因がわからなかったため,脳神経内科にコンサルトした.本例では1)数週間で四肢体幹部の持続する筋硬直が進行し,2)筋硬直は左右対称性に共同筋と拮抗筋の両者に認め,3)間欠的に筋硬直が消長する特異な神経学的特徴を認め,4)全身性強直を引き起こす悪性症候群などの他の疾患が否定的であったため,Dalakasの診断基準(表2)6)の4項目を満たしSPSと診断した.抗GAD抗体は陰性であり,抗amphiphysin抗体などの特殊な自己抗体の検索はできなかったが,進行期乳がんという患者背景から傍腫瘍性SPSが強く示唆された.治療としてはジアゼパム大量療法が第一選択であるが,夜間せん妄がみられたことから避け,対症療法として第28病日よりダントロレン75 mg/日を開始した.しかし効果に乏しいため,第30病日よりジアゼパム6 mg/日を追加し,さらに第32病日よりジアゼパム12 mg/日,第36病日からジアゼパム18 mg/日と漸増した.この頃から徐々に上下肢の筋硬直は改善したが,傾眠となり,嚥下障害や日常動作の改善にはつながらなかった.第39病日からメチルプレドニゾロン1000 mg/日のパルス療法を開始したが,全身状態の改善は得られず.肺炎による呼吸不全により第44病日に死亡退院となった.
SPSは成人に発症し,初期には軀幹筋や四肢近位筋の局所性筋痙攣が発作的に出現し,数週間~数カ月で全身に波及する.筋硬直は軀幹筋や四肢近位筋に認められ,石板状に緊張した持続性の高度の筋硬直状態が通常左右対称性に,共同筋と拮抗筋の両者に存在する.高度になると腰部の過度の前弯をきたし,随意運動が困難となり,歩行障害や動作緩慢などの症状が出現する.障害筋の分布は背部,腹部,下肢,頭頸部の順に多く,咽頭喉頭筋の硬直による嚥下障害や構音障害が出現することもある7).
本例では入院当初から嗄声を認め,縦隔リンパ節転移は認めないものの,胸膜播種結節が左反回神経の走行領域と一致していたことから反回神経麻痺による症状を疑っていたが,後に嚥下機能評価で咽頭喉頭筋の硬直を認めたことから,SPSの症状の可能性が高いと考えられた.また腹水などによる全身状態不良でPSが低下しているものと考えていたが,筋硬直による歩行障害や動作緩慢がみられていた可能性が高いと考えられた.
SPSの診断では従来Gordonら2)やLorishら8)の診断基準などが用いられてきたが,症例の集積に伴い,多様なサブグループの存在が知られるようになり,またジアゼパムによる症状の改善など陰性率の高い基準項目が見直され,新たな診断基準がDalakasにより提起されている6).傍腫瘍性神経症候群としてのSPSは,SPS患者の約5%とされ4),乳がん,胸腺腫,肺がん,ホジキンリンパ腫などの合併が報告されている.傍腫瘍性SPSでは,抗amphiphysin抗体を認めることが多く4),最近では抗gephyrin抗体陽性例5)や抗GlyRα 1抗体陽性例9)も報告されているが,これらの抗体の病的意義について不明瞭な点も多く残されている10).本例ではこれらの特殊な自己抗体の検索はできなかったが,進行期乳がんという背景から傍腫瘍性SPSに矛盾しないと考えられた.
SPSに対する治療は,症候に対する治療と発症病態による治療に分けて考える必要がある.症候に対する治療の第一選択はベンゾジアゼピンとバクロフェンで,常用量はジアゼパム20~300 mg 2~4回/日,バクロフェン10~80 mg/日とされる11).鎮静状態,傾眠,全身倦怠感,低血圧,呼吸抑制などに注意し,漸増していくことが多いが,本例ではせん妄や鎮静傾向によりジアゼパムの十分な増量が困難であった.鎮痙薬のダントロレンも常用量は200~400 mg/日であり,投与量不足により効果に乏しかった可能性がある.発症病態に対する根本的な治療としては,免疫グロブリン大量静注療法,血液浄化療法,ステロイド投与,免疫抑制薬の投与がある12).傍腫瘍性SPSの場合,抗がん治療およびステロイド治療で神経学的症状の改善または完全寛解が見られるという報告がある13〜15)が,どの症例も手術療法や化学療法により病勢制御が行われていた.本例は病状進行により全身状態が非常に悪く,抗がん治療は困難であったため,ステロイドパルス療法にも反応が乏しかった可能性がある.また,その他の免疫治療の反応をみる時間的な猶予もなく,有効な治療を見出すことが困難であった.
SPSは100万人に1人程度の極めて稀な疾患であり6),診断の想起が困難なことや,SPSの身体症状によりうつ病や不安16),広場恐怖症やその他の状況特異的恐怖症17)を発症することもあり,精神疾患と誤診されることもある18).本症では急速な症状進行により著しくQuality of Life(QOL)が損なわれることから,速やかに確定診断を得ることが望ましい.また早期に治療介入ができれば,神経症状の改善や予後の延長が得られる可能性もあることから,SPSの診断は意義があり,緩和医療に携わる医療者にとって把握しておくべき病態と考え報告した.
進行乳がん患者に発症した傍腫瘍性SPSの1例を経験した.
著者の申告すべき利益相反なし
内藤は研究の構想およびデザイン,研究データの収集,分析,解釈,原稿の起草に貢献;若山,静川は研究データの収集,分析,原稿の重要な知的内容に関わる批判的推敲に貢献;中野渡,飯田は研究データの解釈,原稿の重要な知的内容に関わる批判的推敲に貢献;福原は研究の構想およびデザイン,研究データの収集,分析,解釈,原稿の起草,原稿の重要な知的内容に関わる批判的推敲に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終承認,および研究の説明責任に同意した.