【目的】進行がん患者のせん妄に対するアセナピン舌下錠の有用性について評価する.【方法】2019年10月1日から2022年9月30日までに当院に入院し,せん妄に対する治療としてアセナピン舌下錠を投与された進行がん患者を対象に,その有用性に関して電子カルテを用いて後方視的に調査を行った.せん妄による興奮症状の改善度を評価するためにAgitation Distress Scale(ADS)を用いて評価した.【結果】解析対象となった患者は20例であった.対象となった患者の投与前のADS値の平均値(範囲)は12(4–17),投与後の平均値(範囲)は7.9(0–18),p値<0.001であり投与前後で有意な低下が認められた.【結論】アセナピン舌下錠はせん妄に対する薬物治療の選択肢の一つとして有用な可能性が示唆された.
Purpose: To evaluate the usefulness of asenapine sublingual tablets for the treatment of delirium in patients with advanced cancer. Methods: We conducted a retrospective study using electronic medical records of patients with advanced cancer who were admitted to our hospital between October 1, 2019 and September 30, 2022 and who received asenapine sublingual tablets as treatment for delirium. The Agitation Distress Scale (ADS) was used to evaluate the degree of improvement of agitation symptoms caused by delirium. Results: Twenty patients were included in the analysis. The mean ADS(range) before treatment was 12 (4–17), and the mean ADS(range) after treatment was 7.9 (0–18), with the p-value <0.001. Conclusion: Asenapine sublingual tablets may be useful as an option for pharmacological treatment of delirium.
せん妄とは,身体的異常や薬物の中毒・離脱などの要因により急性に発症する意識障害であり,注意の障害,失見当識などの認知機能障害,幻覚妄想,気分変動などの精神症状を呈する病態である1).とくに身体的な重症度が高い患者や医療的処置の侵襲度が高い患者でよく認められるが,がん緩和領域においても緩和ケア病棟入院時に42%,死亡直前には88%に認めたとの報告があり,対応が必要となることは多い2).せん妄に対しては薬剤や低酸素血症,感染などの直接的な因子が可逆的要因と考えられる場合,薬剤の減量・中止・変更や身体疾患に対する治療を試みる.また並行して患者の見当識,認知機能への刺激や早期からの運動,視力・聴力の補正など 非薬物療法による予防・ケアを試みることは重要であるが,実臨床では薬物療法による症状マネジメントを要することは少なくない.せん妄の薬物療法では,主にクエチアピン,リスペリドン,ハロペリドールなどの抗精神病薬が用いられる3).しかし,わが国では2011年9月に厚生労働省からクエチアピン,リスペリドン,ハロペリドール,ペロスピロンの4剤について「器質性疾患に伴うせん妄・精神運動興奮状態・易怒性に対する適応外使用を審査上認める」という通知が出されているものの,せん妄に保険適用を有する薬剤は未だチアプリドのみである.また実臨床ではこれらの薬剤のみではコントロールが難しく,他薬剤の使用を余儀なくされる場合もしばしば経験する.
アセナピンはMARTA(multi-acting receptor-targeted antipsychotics)に分類され,ドパミン受容体,セロトニン受容体,アドレナリンα受容体およびヒスタミンH1受容体に高い親和性を持ち,ヒスタミンH2に中等度の親和性を持ち,アンタゴニスト(拮抗薬)として作用する薬剤であり,活動型せん妄に対する有効性も報告されている4).薬理学的には幻覚妄想,興奮などへの効果が期待できる一方で,ムスカリン様アセチルコリン受容体に対しては親和性が低いことから口喝,便秘などの抗コリン作用を呈しにくいことが期待できる.一般的に経口投与された薬物は消化管からの吸収効率,肝臓・消化管での代謝(初回通過効果)の影響を受けるが,アセナピンは初回通過効果が高く,内服した場合,その絶対的生物学的利用率は2%以下と極めて低い.一方,舌下投与されたアセナピンは唾液に完全に溶解され,口腔粘膜から急速に吸収され,全身循環に入ることで絶対的生物学的利用率を21.9–34.8%と高めることができる薬剤である5).
国立病院機構大阪医療センター(以下,当院)ではせん妄治療として以前よりアセナピン舌下錠の使用経験があり,過去にその有用性について報告している6).しかしながら,過去の研究では緩和ケアチーム介入症例に限られていたため症例数は少なく,今回,われわれは調査期間と対象患者を広げ,症例を集積し,その有用性に関して改めて評価を行った.
本研究は当院受託研究審査委員会の承認を受けて実施した(承認番号ONH 22090).「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」を遵守し,得られた個人情報は個人が特定されないように匿名化に配慮した.
2019年10月1日から2022年9月30日までに当院に入院した全診療科の患者のうち,せん妄に対する治療としてアセナピン舌下錠を投与された18歳以上の進行がん患者を対象とした.進行がん患者の定義は局所進展,遠隔転移もしくは再発により根治不能と診断されたがん患者とした.せん妄の診断はアメリカ精神医学会による診断基準(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition: DSM-5)を用いて精神科医もしくは緩和ケア医が診断した1).また術後せん妄と診断された患者は除外した.
調査項目年齢,性別,がんの原発部位,脳転移の有無,Performance Status(PS),併用薬剤(ベンゾジアゼピン受容体作動薬,メラトニン受容体作動薬/オレキシン受容体拮抗薬,オピオイド,ステロイド,H2受容体拮抗薬,他の向精神薬),疼痛の有無,38°C以上の発熱の有無,呼吸困難の有無,アセナピン舌下錠の初期投与量,最終投与量,投与期間,血液検査(TP,Alb,GOT,GPT,BUN,Cr,Na,Ca,WBC,リンパ球,Hb,Plt,CRP)について電子カルテを用いて後ろ向きに集積した.またアセナピン舌下錠投与前後のAgitation Distress Scale(ADS)に関連する情報を看護記録等の記載記録から緩和ケア内科医師が評価し,観察期間において最も重症なスコアを測定した.投与前に関しては投与前日から投与開始直前まで,投与後に関しては投与開始時点から最大3日後までのカルテ記録を参照し,評価した.ただし投与期間が3日以内のものに関しては投与期間内のカルテ記録を参照し,評価した.
ADSADSは森田らにより開発されたせん妄の評価ツールであり指定された観察期間における状態を面接,付添人,看護記録をもとに「運動不安の頻度」,「運動不安の範囲」,「運動不安の内容」,「精神不安」,「幻覚妄想」,「睡眠」の6項目について,それぞれ0–3点でスコアリングし,合計値0–18で記載する.症状は観察期間中の最も重症なものについて記載することとなっている7).本研究は後方視的観察研究であり,看護記録等から治療効果の評価を行うため,ADSを評価ツールとして使用した.
統計解析結果は症例数(%),平均値±標準偏差で示した.統計解析は改変Rコマンダー4.2.2を使用し,ADS値に関してはpaired t-test,他の項目についてはWilcoxon符号付順位和検定を用いた8).有意水準は0.05に設定した.
調査期間中に当院でアセナピン舌下錠を処方された患者数は164例で,その内訳は進行がん患者38例,非進行がん患者4例,非がん患者122例であった.また進行がん患者38例のうち,頓用薬として処方はされたが内服はしなかった症例7例,不眠・不安などせん妄以外の症状で使用された9例,術後せん妄と診断された2例を研究対象から除外し,20例について評価・解析を行った( 図1).患者背景に関しては 表1に示した.年齢平均値(範囲)は73.2歳(51~84歳)であった.原発部位は消化管が6例,肺と肝胆膵が5例,造血器が3例,婦人科系が1例であった.脳転移は確認できた範囲では2例に認められた.PSは4が最も多く,8例であった.オピオイドを併用していた症例は9例,ステロイドを併用していた症例は3例,ベンゾジアゼピン系睡眠薬を併用していた症例は2例であった.H2受容体拮抗薬を併用している症例は認められなかった.アセナピン舌下錠投与開始から3日後までにハロペリドール単剤が4例,クエチアピンおよびハロペリドールが1例,ブロナンセリン貼付薬が1例,抑肝散が1例で併用されていた.また同期間においてベンゾジアゼピン系薬以外の睡眠薬としてラメルテオンが2例,レンボレキサントが4例,スボレキサントが4例で併用され,抗うつ薬であるトラゾドンが2例で併用されていた.疼痛は12例,38度以上の発熱は2例,呼吸困難は3例で認められた.アセナピン舌下錠の投与開始量の平均値(範囲)は3.9 mg/日(2.5–10 mg/日),最終投与量の平均値(範囲)は5 mg/日(2.5–15 mg/日),投与日数の平均値(範囲)は10.9日(1–86日)であった.全患者の投与前のADS値の平均値(範囲)は12(4–17),投与後の平均値(範囲)は7.9(0–18),p値<0.001であり投与前後で有意な低下が認められた.またADSの6項目すべてにおいても有意に低下を認めていた( 表2).PS1–2の患者群では投与前のADS値平均値(範囲)は13.1(9–17),投与後の平均値(範囲)は10.8(3–18),p値は0.065であり有意な低下は認められなかった( 表3).PS3–4の患者群(9例)では投与前のADS値平均値(範囲)は11.1(4–17),投与後の平均値(範囲)は5.5(0–14),p値は<0.001であり有意な低下が認められた( 表4).有害事象は1例において構音障害が疑われ,中止されていたが,その後改善が得られたかについてのカルテ記載は認められなかった.
今回,進行がん患者のせん妄において使用されたアセナピン舌下錠の投与前後のADS値を後ろ向きに評価したところ,有意な低下を認めており,せん妄症状の改善が認められていた.このことから進行がん患者のせん妄治療において本薬剤は有効であることが示唆された.また本研究においては終末期の患者だけではなく,進行がん患者全体を対象としたことからPS1–2の患者も9例と多く含まれている. 表3に示すようにPS1–2の患者群のみに限定した場合,ADSの各項目およびADS値はPS3–4の患者群より高い傾向にあり,またアセナピン舌下錠投与による有意な低下は認めなかった.この理由としてはPS1–2の患者群ではPSが保たれていることから過活動性が高く,せん妄の重症度がより高かったためではないかと考えられる.PSが保たれており,過活動性の強いせん妄症例では,アセナピン舌下錠のみでの治療は不十分な可能性があり,積極的に他の薬剤への変更や追加,増量などを検討する必要があるかもしれない.
アセナピン舌下錠が他の抗精神病薬に比べて優れている点として,舌下錠であることから投与が簡便であり,食事が中止されているような経口摂取困難な症例においても使用可能な点がある.実際,われわれが今回検討した患者群においても12例において食事中止となっていたが投与が可能であった.またPS3–4の患者群には終末期が近く,嚥下能力が低下している患者は多いが,それらの患者群においても 表4が示すようにアセナピン舌下錠はせん妄症状の改善に有用と考えられた.
せん妄に対する非定型抗精神病薬による治療としてブロナンセリンの有益性は過去にも報告されている9,10).近年は貼付薬が発売されたこともあり,内服困難な症例では,せん妄に対する治療としてブロナンセリン貼付薬を使用する場合もある11).しかしながら,ブロナンセリン貼付薬のインタビューフォーム(健康成人を対象)によると,血中濃度は貼付後20時間以上をかけて最大値まで上昇し,反復貼付により血中濃度の定常状態が安定するまでには7日間を要する12).そのため緊急的な治療が必要な症例や終末期で予後が極めて短いと思われる症例などにおいては単剤で治療導入は望ましくない可能性が懸念される.また,効果が持続的であることから,夜間せん妄のみのコントロールを必要とする症例など間欠的なせん妄治療を検討したい症例では適切ではないと思われる.
また,内服困難な症例に対する投与経路としてはほかに静脈投与や坐剤の適応が考えられる.竹内らは院内製剤クエチアピン坐剤がせん妄症状の改善に有効であったことを報告している13).しかしながら現時点ではクエチアピン坐剤の一般販売はされておらず,使用可能な施設は限られることは懸念される.また,坐剤の挿肛に関しては患者の体位を調整する必要があり,とくに在宅医療などで介護者が少ない場合,本人・介護者への負担になる可能性を考慮する必要がある.また抗精神病薬注射剤は一般的に内服困難なせん妄患者の治療で使用されることは多いものの,自己抜針の危険性が高い患者や穿刺による苦痛を訴える患者,在宅医療などで常時医療者がいない状況では使用しづらい点などがある.これらのような状況においても介護者が使用しやすい舌下錠は進行がん患者のせん妄に対する薬物療法の選択肢の一つとして今後も検討すべき薬剤であると考える.
本研究の限界として,後方視的観察研究であるため,第一に,せん妄に対するアセナピン舌下錠の治療効果の評価に関してはカルテ上の記載に頼らざるを得なかった点がある.本研究では主として看護記録をもとにスコアリングを行っており,投与前および投与後から3日間の期間でスコアリングを行っているが十分なアセスメント記録がされていないものもあった.第二に,シクレスト投与開始後もせん妄のため,ハロペリドールなど他の抗精神病薬やメラトニン受容体作動薬,オレキシン受容体拮抗薬,トラゾドンなどの薬剤が併用されていることによる影響は否定できない.しかしながら,観察期間において必ずしも定期的に併用されているわけではないことから評価が困難であり,本研究においては評価項目から除外した.第三に,実臨床で行われている原因対策,非薬物療法がせん妄改善に影響した可能性がある.第四に投与日数にばらつきが多く,観察期間を3日に設定したが,それを満たさない患者が8例と多くを占めていたことから十分な評価を得られなかった可能性は否定できない.
進行がん患者のせん妄に対してアセナピン舌下錠は有効である可能性が示唆されたが,今後,さらなる研究が必要である.
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前倉は研究の構想およびデザイン,データの収集・分析・解釈,原稿の起草に貢献した.相木,田宮,久田原,櫻井,吉金は原稿の重要な知的内容に関わる批判的な推敲およびデータの解釈に貢献した.すべての著者は投稿論文ならびに出版原稿の最終承認,および研究の説明責任に同意した.