抄録
本稿は,1918年創刊の雑誌『赤い鳥』に所収された童謡を対象として,メディア論の視座から考察し,近代日本における「声」の文化の一端を描き出すものである.
童謡は,初期の『赤い鳥』において音楽としてではなく,詩として創作されていた.童謡が文字で表現されながら歌謡として成立しえたのは,それが読者によって声に出して読まれ,自由な節を付けられていたためであった.童謡を歌うという営みは,伝統的な社会において歌われ伝承されていたわらべうたを,詩という複製技術を手段にすることによって復興させようとする北原白秋らの論理に支えられていた.
童謡からみてとれるのは,近代において声の文化なるものを想像するときに逃れることのできない文字の位相である.声と文字は,それぞれ自律したシステムとして存在するのではなく,むしろ一方の内に他方が潜み,相互に重なり合うような関係にある.声と文字とは技術的な媒介や当該社会における実践や想像力など,多様な要因によってさまざまに分節される.とりわけ印刷技術は,近代社会において声の文化の形成の重要な一要素となる.
本稿は童謡の検討を通じて,文字や声の文化の関係を一義的に決定する要因としてメディアを捉えるのではなく,声や文字を新たに関係付ける再編の契機として,さらに多様な文化を生み出す生成の契機としてメディアを捉え直す.