2008 年 59 巻 3 号 p. 478-494
本稿の課題は,M. フーコーが最晩年に取り組んだ古典古代思想研究におけるキー概念,「自己への配慮」が,〈倫理‐政治的〉な自律主体の形成という観点から構成されていることを明らかにすることにある.彼のこの取り組みについての従来の議論では,「自己の自己との関係」という形式をとる「自己への配慮」の「主体」が,閉じられた自己関係の枠内にとどまる「倫理的」主体として捉えられ,この主体との関わりで,彼の権力論において常に問われ続けてきた「抵抗」拠点の可能性について指摘されてきた.そこで本稿では,この議論を一歩進めて,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との関係を単に指摘するだけにとどめず,両者の論理関係を捉えたうえで,この「自己への配慮」が常に「他者」との開かれた関係の中で機能する,〈倫理‐政治的〉な観点から貫かれた概念であることを検討する.
この課題を遂行するために,まずはじめに,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との論理関係を考察し,前者が「主体の変形」(「スピリチュアリテ」)の実践として定義されていることを明らかにする.次に,この「自己への配慮」が,2つの位相を持つ「他者」と常に関係を持ちつつ実践されることを明らかにする.そして最後に,この「自己への配慮」によってはじめて,下位の者が上位の者に対して生命を賭けて実践する「パレーシア」(「真理を語ること」)が可能になることを指摘する.