社会学評論
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59 巻 , 3 号
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投稿論文
  • 栃木県2地区の共同炊事に関する事例調査から
    増田 仁
    2008 年 59 巻 3 号 p. 442-461
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,「高度成長期」前半に栃木県2地区で展開した共同炊事を事例に,農村部の女性による家事の共同実践が彼女らの生活世界にとっていかなる意味をもったのかを検討する.当時の共同炊事は生活改善運動を背景に全国に波及したが,本稿は「改善」の主たる対象とされた農家女性自身が共同炊事に能動的に関与していく側面に着目する.
    氏家町では,大規模農家の女性たちが農繁期の炊事負担を減らすために行政に働きかけ,役場が有償で一括して炊事を請け負う形態の共同炊事が実施された.これは女性たちが炊事の共同的外部化を実現した先鋭的な試みだった.だが,その後の農業の機械化に伴って共同炊事が終息すると,労働量が軽減された氏家町の女性たちは各家庭の家事専従者(の近似的タイプ)へと帰着していった.
    零細農家が多い喜連川町における共同炊事は,農繁期の炊事負担の軽減・効率化といった動機に乏しく,むしろ女性らが農休日を活用して行う自律性の高い実践へと展開した.彼女らは家事労働の場を共有する中で,家父長制下での厳しい労働条件から一時的ではあれ離脱を果たしたり,イエの枠を越えて水平的につながったりしながら,共同化の契機を作り上げていった.結果として彼女らは,家庭ごとに分断された家事労働への専従に必ずしも帰着しない横断的な労働状況や社会関係を,地域社会に一定程度作り上げることに成功した.
  • 国際比較からみる日本の特殊性
    阪口 祐介
    2008 年 59 巻 3 号 p. 462-477
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,いかなる社会的属性を持つ人びとが犯罪被害のリスクを感じており,それはなぜなのか,について明らかにする.
    1960年代から欧米ではじまる犯罪不安の実証研究は,女性,高齢者,低階層の人びとが犯罪被害のリスクを感じやすいことを明らかにしてきた.そしてそれらの研究は,そのような属性を持つ人びとが身体的・社会的に脆弱であるために犯罪被害のリスクを感じやすいという解釈を提示する.本稿では2000年のGSSとJGSSのデータを用いて,犯罪リスク知覚の形成要因の日米比較分析を行い,欧米で示されてきた規定構造は日本においても確認できるのか,そして日本の規定構造は欧米のように身体的・社会的脆弱性によって解釈できるのかを問う.
    分析の結果,次のことが明らかになった.アメリカでは女性,高齢者,低収入の人びとが犯罪被害のリスクを感じやすく,その規定構造は身体的・社会的脆弱性によって解釈できる.一方,日本では若い女性,男性で幼い子どもを持つ人びと,女性のホワイトカラーおよび高学歴層で犯罪被害のリスクを感じやすく,その規定構造は身体的・社会的脆弱性によって解釈ができない.最後にこのような日本の規定構造について,性的犯罪への不安,重要な他者の脆弱性,GSSとJGSSのワーディングの違い,夜の1人歩きの機会,メディアの役割といった観点から複数の解釈を提示する.
  • 〈倫理-政治的〉な自律主体の形成を中心に
    藤田 博文
    2008 年 59 巻 3 号 p. 478-494
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿の課題は,M. フーコーが最晩年に取り組んだ古典古代思想研究におけるキー概念,「自己への配慮」が,〈倫理‐政治的〉な自律主体の形成という観点から構成されていることを明らかにすることにある.彼のこの取り組みについての従来の議論では,「自己の自己との関係」という形式をとる「自己への配慮」の「主体」が,閉じられた自己関係の枠内にとどまる「倫理的」主体として捉えられ,この主体との関わりで,彼の権力論において常に問われ続けてきた「抵抗」拠点の可能性について指摘されてきた.そこで本稿では,この議論を一歩進めて,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との関係を単に指摘するだけにとどめず,両者の論理関係を捉えたうえで,この「自己への配慮」が常に「他者」との開かれた関係の中で機能する,〈倫理‐政治的〉な観点から貫かれた概念であることを検討する.
    この課題を遂行するために,まずはじめに,「自己への配慮」と「抵抗」拠点との論理関係を考察し,前者が「主体の変形」(「スピリチュアリテ」)の実践として定義されていることを明らかにする.次に,この「自己への配慮」が,2つの位相を持つ「他者」と常に関係を持ちつつ実践されることを明らかにする.そして最後に,この「自己への配慮」によってはじめて,下位の者が上位の者に対して生命を賭けて実践する「パレーシア」(「真理を語ること」)が可能になることを指摘する.
  • 国勢調査データを用いた人口移動理論からの分析
    是川 夕
    2008 年 59 巻 3 号 p. 495-513
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    日本に在住する外国人は戦後一貫して増加を続け,2006年末時点で208.5万人と日本の総人口の1.63%を占めている.こうした現象は多くの社会学者の関心を引きつけてきた.しかし一方で,エスニック・コミュニティ形成の要因について統計的データを用いて地域横断的に分析した研究は少ない.本稿はこのような問題意識に応えるべく,エスニック・ネットワークが外国人の居住地選択に与える影響を,全市区町村を標本とした重回帰モデルを使って主要国籍別に検証することを目的とする.その結果,エスニック・ネットワークは同胞人口の増加に対して正の影響を及ぼすことが確認され,これまで在日外国人研究によって明らかにされてきたことが地域横断的にみても妥当であることが示された.一方,エスニック・ネットワークは在留資格制度による制約条件のもと,国籍や性別ごとの受入態様に合わせて機能するものであり,エスニック・ネットワークは外国人の定住化へ向けた一般的経路ではなく,選択的に動員される資源であることが示された.
  • 岡部 悟志
    2008 年 59 巻 3 号 p. 514-531
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,子ども期から成人期にかけての能力形成の過程を計量的に検討するものである.本田(2005)は,子ども期の家族コミュニケーションが豊富であることが,意欲や対人関係力,人柄,情動などを含めた学力以外の能力(=能力β.注4参照)を高める主な規定要因であると結論づけている.この本田の研究成果に検討を加えたうえで,新たに子ども期の家庭の経済状況,コミュニケーション対象の家族内から家族外への移行という2つの要因を付加した作業仮説モデルを構築し,調査データによる検証を行った.その結果,能力βの形成に対して,他の変数の影響を取り除いたうえで観測される家族コミュニケーションの直接的な効果は,本田が主張するほど決定的な影響力をもっていないこと,その一方で,出身家庭の経済力の関与や,家族コミュニケーションから家族外コミュニケーションを媒介した間接効果(=子どもの社会的自立の過程)などが,一定の影響力をもっていることが明らかとなった.この分析結果は,能力βの規定要因をもっぱら家族の内部に求めるものではなく,むしろ,家族の外部の資源をいかした能力βの形成ルートが存在することを意味している.以上を踏まえ,さいごに,能力形成の格差・不平等問題に対する政策的介入の可能性や,過剰なまでに高まった家庭の教育力言説をクール・ダウンさせる可能性などが示された.
  • 藤本 昌代
    2008 年 59 巻 3 号 p. 532-550
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本研究は制度変革期(科学技術系国立試験研究機関の独立行政法人化)の事例から,変革後の適応期の専門職に起こる現象について分析を行ったものである.これまでの専門職論では専門職は職業に対する志向が強く,所属組織に依存しないコスモポリタン(職業人志向)であると考えられてきた.ところが制度変革期の動的組織にあっては,彼らにまったく異なる傾向が見られた.インタビューでは,合理化方針による雇用調整への不安をもつ非正規雇用の事務職だけでなく,研究職からも不安や不満が語られた.さらに変革に対する不安をアンケートデータを用いて,職種・従業上の地位の比較を行ったところ,正規雇用の研究職・管理職の方が,非正規雇用の事務職より不安が大きいことが示された.本稿では,この現象を〈相対的剥奪感〉〈ミッションの変化による葛藤〉〈研究者コミュニティの解体〉という観点から分析した.その結果,組織で優位にあった人々の自立性は,そのルールを成立させている社会に依存し,その社会のルールが変化する時,彼らの自立性は阻害され,不安を募らせたことが示された.そして彼らは,個々で自立的に専門分野へコミットしているがゆえに,集団の結束を強化することが難しく,組織の管理パワーの上昇に抗しにくかった.本稿は静的組織で自立的と考えられてきた専門職に起こったこの現象を,制度変革による動的状態でのアノミーであると結論づけている.
  • 飯島 祐介
    2008 年 59 巻 3 号 p. 551-565
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,スカーフ論争(Kopftuchstreit)の分析を通して,揺れ動く現代ドイツの規範的自己理解の一端を浮かび上がらせることにある.ドイツのスカーフ論争は,公的学校において教師が授業時にスカーフを着用することを禁止すべきか否かを焦点に,2003年9月の連邦憲法裁判所判決を契機に,広く公共において展開されることになった.論争は,禁止を求める陣営とそれに反対する陣営という単純な対立を超えた多様な立場へと分裂している.しかし同時に,ドイツは宗教的・世界観的に中立的な国家であり,自由と民主主義を基本価値に統合された社会であるとする自己理解が,その共通の地平となっている.この理解はナチズムの克服を背景とした歴史的なものであるが,論争ではその内実が問い直されている.ここに論争は,ドイツの「戦後社会」の揺らぎを映し出すことになっている.論争の帰趨はなお定かでない.しかし,その行方が少なくともドイツにとって瑣末な問題でありえないことは,現時点において確言することができる.
  • 岩手県早池峰岳神楽を例として
    長澤 壮平
    2008 年 59 巻 3 号 p. 566-582
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    現代における地域伝統文化は,研究者の介入を契機として対象化され,文化資源としてイデオロギーやイメージを担わされてきた.しかしその一方で,地元の当事者は外部の人々の構築的実践に巻き込まれつつも,その流れをみずからの利益にかなうよう戦略的に変換する.
    こうした地域伝統文化の実践のありようについてはこれまでさまざまに議論されてきたにもかかわらず,地域において培われ,当事者の立脚点を形成するような実践の核心部はいまだ十分に捉えられていないように思われる.この問題を追究するため,本稿では岩手県花巻市に伝承される地域伝統芸能である「岳神楽」の実践について検討する.
    岳神楽の実践の核心部は,地元の宗教儀礼を含めた上演の歴史によって培われた「いまの上演」と考えられる.「いまの上演」は内的統一として身体‐感情レベルに属し,文化財化や観光資源化といった外部の人々による構築から独立した地位を占めている.そして,演者たちは「いまの上演」に立脚することで,近代化における「文化財」「観光」といった意味づけを退けつつも逆に利用しているのである.
  • ベネディクト・アンダーソンの知と死
    新倉 貴仁
    2008 年 59 巻 3 号 p. 583-599
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,ナショナリズム研究において提起されている構築主義的アプローチの批判的検討を通じ,その射程を描き出すことをめざすものである.
    近年,ナショナリズム研究において,従来の近代主義と歴史主義の相克を乗り越える為に,構築主義的アプローチが提起されている.これは,国民国家批判に代表されるような政治的構築主義としてではなく,方法論的構築主義の立場から再検討される必要がある.
    この企図のため,本稿はベネディクト・アンダーソンのナショナリズム論を再構成していく.アンダーソンは,「想像の共同体」という語に示されるように,ナショナリズムに対する構築主義的説明を行っている.だが,他方で彼は,「なぜ人はネーションのために死ぬのか」という問題をナショナリズムの中心的な問いに位置づける.すなわち,構築をめぐる知の問題系と,構築主義に突きつけられる死の問題系が,アンダーソンの議論には共存している.この理論的意義を検討することを通じ,以下の3点を示す.
    第1に,アンダーソンの議論は,その主張以上に,観察可能な言説を対象とする点で方法論的構築主義に位置している.第2に,ナショナリズムは,構築の外部を排除しつつも内部へと包含するような構造を有している.そして,第3に,ナショナリズムにおける構築主義の理論的賭け金は,構築の外部を補足することの失敗自体を記述していくことにある.
  • 文化的保守主義は,批判理論に接続可能か?
    片上 平二郎
    2008 年 59 巻 3 号 p. 600-618
    発行日: 2008/12/31
    公開日: 2010/04/01
    ジャーナル フリー
    アドルノによれば,近代的「主体」は,「同一性思考」を通じて「他者」を制御し,物象化していく.アドルノは,近代的な暴力を,「主観性」や「理性」が「客観」や「経験」に対して優位にある状態に由来するものであると考えた.よって,アドルノは「同一性」思考に対立する「非同一的」な立場として「客観の優位」という態度を,批判理論の基盤に置こうとする.
    アドルノは,「伝統」を,この「客観」概念の一形態として考えている.「過去」は「主観」にとって所与的なものであり,恣意的に扱えないものとして存在している.よって,「伝統」を通じて「過去」に触れることで,主観的な「理性」は自らの限界に気付き,反省作用の契機を取り戻す.「伝統」は「同一的理性」に対して「非同一」的なものとして存在する.
    アドルノは,イデオロギー的な「伝統主義」と「伝統」概念とを区別している.「伝統主義」とは,「伝統」に本来,内在しているはずの多様な性格や複雑な性格を消去した結果,成立するものであり,すでに「同一化」原理の中に組み込まれてしまっている.アドルノは「伝統」が持つ「非同一的」な性格を主張することで,「伝統主義」を批判する.
    アドルノは「あらゆる物象化は忘却である」と述べている.このような観点から,アドルノは「伝統」という概念が持つ,社会の「同一性」への批判的可能性を模索している.
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