社会学評論
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研究ノート
「子ども」は実体か構築かという問いをめぐって
『明治以降教育制度発達史』を事例とした子どもと教育の社会学の視角についての一考察
元森 絵里子
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キーワード: 子ども, 身体, 構築
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2012 年 63 巻 1 号 p. 124-135

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抄録
本稿は, 教育制度内部の教育史記述の古典である『明治以降教育制度発達史』を読み直し, 「子ども」が実体であるのか構築であるのかというアリエスインパクト以降繰り返される問題を考えるものである.
「子ども」という観念の歴史的構築性を示した研究に対し, しばしば, 直観的に, 目の前の発達途上の身体や生理学的に捉えられる身体という「実体」があるという批判・反証がされる. 史料から見えてきたのは, 「発達する身体」をもち将来的には「国民」や「労働者」になる「児童」が発見され, 教育的論理と教育制度が定着する際に, それに包摂されない実態との折り合いが模索されたということであり, 身体測定や統計が「実体的根拠」として要請されたということである. したがって, よくある批判が根拠とする「実体としての子ども」なるものも, 多くは年少者を教育の対象として見出すまなざしが全域化していったことの効果として立ち現れている観念であると言える.
と同時に, その論理の外部に年少者・小さい人が事実として存在し, それを「児童」や「子ども」と見なさない世界があることが, 教育的論理では扱いにくいものとして, まさにその論理の中に書き込まれていることにも目を向ける必要がある. 子どもと教育の社会学は, その構築性についてより深く考察すると同時に, 自身の言葉の外にあった (ある) かもしれない世界の存在に自覚的であり続けていく必要があろう.
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© 2012 日本社会学会
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