社会学評論
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「探求の語り」再考
病気を「受け入れていない」線維筋痛症患者の語りを通して
野島 那津子
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2018 年 69 巻 1 号 p. 88-106

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抄録

A. W. フランクが理想型として提示する「探求の語り」は, 病いの「受容」と苦しみによって新たな何かが獲得されるという信念を語り手に要請する. この「成功した生」の道徳的な語りは, 病いを受け入れられない人の語りを, 失敗した生のそれとして貶める可能性がある. また, 道徳的行為主体に至る個人の努力が強調される一方で, 苦しみを受け入れ経験を語る過程における他者や社会経済的要因の考察が, 不十分または不在である. こうした問題を乗り越えるために本稿では, 病気を「受け入れていない」線維筋痛症患者の語りを通して, 「探求の語り」の成立要件としての病いの「受容」のあり方について検討し, 以下の知見を得た. (1) 病気を「受け入れる/受け入れない」ことの責任は, 周囲の人々と共同で担われ得る. (2) 「耳ざわりのいい」物語が流通する中で病人像が規範化され, そこから逸脱した病者の生き方/あり方が否定され得る. (3) 周囲の人間が病気を受け入れない場合, 病いの「受容」は個人化され得る. (4) 病いを受け入れていなくても, 病者は経験の分有に向けて語り得る. 以上の知見から本稿は, 他者との分有や共同を含めた病いの「受容」の多様なあり方を「探求の語り」に認めることを提起する. 「耳ざわりのいい」物語だけが聞かれる危険性に対しては, 個々の語りのさまざまな「探求」を聴き手が見出し, ヴァリエーション豊かな「探求の語り」が提示されねばならない.

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© 2018 日本社会学会
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