社会学評論
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人間生態学は「開発促進学」か「開発抑制学」か
岡田 真
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1979 年 29 巻 3 号 p. 73-83

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抄録

日本ではエコロジーに開発抑制運動の旗手としての役割が期待される向きが強いが、世界の傾向は、むしろエコロジーを開発促進に応用する研究者によって主流を占められている。エコロジーは開発抑制の学であるのか、開発促進の学であるのか。
本稿は、まず開発促進にエコロジーを適用しようとする社会学者たちの論理を整理し、その論理に批評を加えるとともに、エコロジー研究者の哲学を問おうとするものである。
さて、世界的な開発志向が、仮に、中進、後進諸国のニーヅを反映する点において、同情にあたいするものであるとしても、その開発要請を、無条件に承認することはできない。なぜなら、現在は、公害問題、資源有限問題などの、いわゆるエコロジカル・リミットを、全世界的に考えなければならない時代であるからである。たとえその開発が、これまで低開発であった地域で促進されるものであるとしても、その効果は全地球的である。これが本稿の論点の一つである。
第一の論点から導かれるところとして、I・S・Aの考えた「開発促進によって望ましき社会変動を」という図式は、再考を要することになる。これからの社会の変革のあり方が第二の論点である。
第三の論点は、開発をめぐる楽観論にも悲観論にも、それを説く人の哲学的背景が反映しているのでないか、ということの指摘にある。日本では、公害激化とともに、ヨーロッパの哲学が自然破壊に手を貸していると説く評論家が出現した。だが、この種の評論は、日本国内でいわゆる新聞投稿家層等に歓迎されることがあっても、世界の科学者を納得させることはできない。むしろヨーロッパの人の哲学は、ヨーロッパの人自身に、判断の対象としてもらうべきであろう。筆者は、筆者を含む日本人の哲学に、問題はないかを問いつめてみたい。そして、筆者自身を含めて、日本人が、公害問題や世界の開発志向にどういう姿勢をとるべきか、考えてみたい。

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