抄録
現代社会が抱えている最も重要な課題の一つは、「権力の過剰」であろう。この「過剰な権力」を分析するには、権力を、権威的な抑圧の力ととらえるだけでは十分ではない。権力が、権力諸関係のなかで、いかにして生産され増殖しているかをみる必要がある。M・フーコーは、こうした「権力の過剰」を分析するために、権力の「法的モデル」に換えて「戦略的モデル」を提出する。中心的統一体を探し求めるのではなく、むしろ周縁的効果をも含めた多様な力関係の場を問題にする。そうした場とは、たとえば「監禁装置」であり「性」である。
一方で現象学的思考が主体の根拠を問い、他方で構造主義的思考が意味作用の可能性の条件を追究したが、それらの思考は権力関係を捨象するという基盤の上に成り立ち、それゆえにその根拠自体が歴史的産物でもあった。M・フーコーの一連の著作のなかで、「権力問題」が登場するのは、『監獄の誕生』以後である。しかし私は、それ以前の言説分析や歴史的分析も、権力分析の観点からとらえることができると思う。本稿は、M・フーコーの権力分析に、問題を限定するが、それは社会学における「社会的なもの」の論理の把握とも密接に関連している。