社会学評論
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権力における「主体」と「構造」
君塚 大学
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1981 年 32 巻 2 号 p. 2-16

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抄録

従来の権力構造論では、権力現象は、一元的な支配構造ではなく、その時々の争点や状況ごとに多様な形をとる多元的な構造をもつとみる見解が優越であった。しかし、最近の権力分析の傾向の一つは、こうした多様な権力現象を深部から支え、方向づける深層の構造を浮彫にしようとしている。この場合、選択し決定をくだす主体と、深層の構造という二つの要素を、理論図式の中でどう位置づけるかが重大な問題になる。
S・ルークスは、構造の規定を蒙りつつもなお自由に選択しうる主体の行為として権力を想定している。これに対し、S・クレッグは、自由な選択とみられるものも深層の社会的な選択基準 (彼のいう「生活様式」) によって拘束されていると考え、しかもこの基準を一元的なものと捉えることによって主体性を排除している。この対立を架橋しうる一つの方途がM・フーコーの権力分析に見出される。彼は深層の基準 (彼のいう「知の原理」) を〈牧人型の権力〉の所産と捉え、主体性を拒んでいる。と同時に、その〈権力〉をのりこえる企てを異なった「知の原理」の体現と考えている。つまり、「知の原理」そのものに対抗的な多元性が示唆されている。
そうだとするならば、権力における主体性の契機は、構造の枠内においてではなく、深層の選択基準そのものをめぐるコンフリクトの関係においてこそ成り立つ、という考え方が可能になるであろう。

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