抄録
自己概念は、ミードとゴフマンに代表されるように、ドラマ的含意をもつ。それは自己が呈示され変容されるということに求めることができる。自己概念をめぐる社会学的論争は、多分にこのようなドラマとしての自己概念の軽視を孕んでいる。自己概念の新たな展開のためには、それが本質的にドラマとしてとらえられる、ということを明らかにしなければならない。
ドラマとしての自己概念は自己が状況的であるということを前提としており、個人の経験ないし行為の生じる文脈に自己を位置づける。このような自己はMeとIという両側面を合わせもつ。この概念はまた、自己を機能としてとらえるものでもある。機能としての自己は、その多元性を特徴としており、機能的多元性の異なる呈示形態、異なる変容形態を生じさせる。
呈示された自己は、関わり合う他者に承認されることによって呈示する主体の公的イメージとなり、主体あるいは他者によって変容の可能性にさらされる。呈示主体は公的イメージからの距離的変容にも従事しようとする。そのうえ、彼はそれらの有形的な変容の背後に無数の無形の変容を行う者でもある。このような視点からとらえられた自己概念は、状況的拘束のもとに自己が呈示され、その呈示に基づいてさまざまな変容を被る人間像を示すものにほかならない。