社会学評論
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明治期総合雑誌にみる家族像
「家庭」の登場とそのパラドックス
牟田 和恵
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1990 年 41 巻 1 号 p. 12-25

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抄録

本稿は欧米の近代家族史研究に触発されて、明治期刊行の七種類の総合雑誌・評論誌をデータとして近代日本の家族像の一端を探る試みである。記事の分析により得られた知見は以下の二点にまとめられる。 (1) 明治初期から旧来の封建的家族道徳を批判し新しい家族のあり方を模索する意識が現れ、二〇年代にはそれが「家庭 (ホーム) 」という言葉に象徴される、家内の団欒や家族員間の心的交流に高い価値を付与した家族への志向に結晶化する。その底を流れるロジックは、西欧化と産業化への意欲であり、国家と社会の発展のためには直系的「家」の論理は逆機能的であるという認識である。つまり「家庭」は家族員の情緒的結合の象徴であると同時に国家社会の発展の礎としても位置づけられているのである。 (2) 二〇年代後半以降、「家庭」型家族の理念にまた別の要素が加わる。明治初期の平等・友愛的な啓蒙的家族像は後退し、夫と妻の性役割分業が規範化されて「家庭」は「家婦」そして「主婦」が中心として存在し夫や老親に仕え子に献身する場となる。同時に家族や家庭は公論の対象から除外され、家庭はいわば「女性化」・「私化」する。
これまで明治期以降の近代日本の家族については、明治民法による封建武士の家族制度の一般民衆への拡大、そして家族の「前近代性」、と結び付いた家族国家主義のイデオロギーによる国家の家族管理が論じられてきた。本稿はこれに異論を唱えるものではないが、明治期前半に西欧的な「家庭」型家族への志向が存在したこと、そして天皇絶対主義国家体制が確立し家族国家主義のイデオロギーの浸透する明治期中盤以降にこの新しい家族道徳もまたその土壤となり、同時に封建儒教的女性観を新たな形で普及させる機能を担ったというパラドックスが誌面から窺えることを指摘したい。

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